おたくの中心で脱オタを叫ぶ――Angel Beats! 感想
(本稿は『Angel Beats!』のネタばれを含みます)
2010年春に放送されたTVアニメ『Angel Beats!』の設定にはうならされた。
物語の舞台となる天上学園は、まともな青春時代を送れずに死んだ者が、エキストラの生徒と共に楽しい学園生活を過ごすことで未練を無くし、成仏、転生するために作られた。
まともな青春時代を送れなかったおたくが、アニメの中の生徒と共に、楽しい学園生活を疑似体験することで、心を満たす。天上学園とは『Angel Beats!』という作品そのものではないか。
成仏を脱オタ、転生をリア充と置き換えれば、『Angel Beats!』は、ゆり達が、脱オタを勧める勢力に抗って、おたくであり続けようとする物語と読みかえることもできる。
ゆり達、転生に抗う連中は、当初、『死んでたまるか戦線』と名乗っているが、最終的には『死んだ世界戦線』で落ち着く。前者は死を否定しているのに対し、後者は受け入れてしまっており、全く逆だ。この両義性が、この作品のキーである。
『Angel Beats!』といい、『CLANNAD』といい、麻枝作品はまさにおたくの中心というイメージがある。アニメのビックタイトルでも、『ワンピース』や『鋼の錬金術師』を見ているのは必ずしもおたくとは限らないが、『Angel Beats!』を見ていたらまごうことなきおたくである。
その一方で、麻枝作品にはおたくがほとんど登場しない。主人公も物事を穏便に運ぼうとするおたく的メンタリティの持ち主ではなく、学校をドロップアウトしたような奴が多い。精神学者の斉藤環氏は現代日本の文化が「オタク」「サブカル」「ヤンキー」に三分されると論じている。この分類に従うなら、麻枝作品の主人公の多くはヤンキータイプといって良いだろう。だが、麻枝作品を見ているのはヤンキーではなく、おたくの中のおたく。またもや両義的だ。
最終回。今まで仲間のみんなの成仏を後押ししてきた主人公の音無は、突然、ここに残ると言い出す。この行動は、2chを中心に、視聴者からかなりのバッシングを浴びた。だが、この行動こそがおたくの真髄なのだ。
音無は、成仏した方が良いのは分かっているが、自らは成仏したくない。これは、脱オタした方が良いのは分かっているが、自らは脱オタしたくない、おたくの姿、そのままではないか。
麻枝作品がおたく界の中心にいる理由。それは、否定と肯定が同居する両義性にある。
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