嵐が丘を継ぐものは?
『嵐が丘』(エミリー・ブロンデ作、河島弘美訳、岩波文庫)は面白かった。かなり面白かった。そして、読む前と後とで随分印象が変わった。
読む前の印象は「激しい愛憎を描いた文学」だった。解説によると、サマセット・モームが『世界の十大小説』の一冊に挙げたとのことだ。また、純文学たる『本格小説』(水村美苗著、新潮文庫)が日本版嵐が丘というコピーで売られていたし、『文学少女』シリーズで文学少女の遠子先輩が「わたしは、この本を読めば読むほど、おなかがすくの。心がからからに飢え渇いて、喉がどうしようもなく締め付けられて、狂おしいほどの飢餓感に頭が熱くなって、息が苦しくなるの。なのにどうしてだか、いつも最後まで読んでしまうのよ。」と評していた。こうした情報から、「激しい愛憎を描いた文学」という印象を抱いたのだろう。
だが、読後の印象は大分違った。「究極のツンデレキャラクター小説」とでも言うべき内容に感じた。もちろん、文学的要素はある。だが、『嵐が丘』が新人作家の新作として今の日本で出版されたとして、芥川賞、直木賞系の文学賞を獲れるかは疑問だ。それは読売文学賞を受賞した『本格小説』と比べてみれば明瞭だ。『本格小説』はキャラクターの立て方が、ぐっと現実的=自然主義的に抑えられているし、社会的背景が書き込まれている。逆に言えば、『嵐が丘』は「キャラクターが極端すぎる」「社会性がない」といった批判を浴びて、芥川賞や直木賞は獲れそうもない。
では、『嵐が丘』が現代日本で出版されたら、どういう位置づけになるのだろうか。まず考えられるのが、ハーレークイーン系の恋愛小説だ。現に、嵐が丘の抄録版が、最近ハーレークイーンシリーズで出版されている。私はこのジャンルに対し、全くの不勉強なのだが、本屋で何冊かあらすじを読んでみた限り、非常に嵐が丘っぽい。
もう一つ考えられるのが、ライトノベルだ。例えば、『嵐が丘』を椋本夏夜さんとかの挿絵をつけて売り出せば、バカ売れする可能性がある。何せ、キャサリンのツンデレっぷりたるや、シャナやルイズをも凌ぐほどである。また、登場人物達の、「嵐が丘」と「スラッシュクロス」の閉ざされた領域が全世界という感覚は、セカイ系に通じるものがある。それに、「そこまで言うか」という激しい悪口合戦やへたれ男子を語り手にしている所などもライトノベルっぽい。一方で、ヒロインが、ワルで情熱的なヒースクリフと優しく誠実なエドガーの二人から愛される展開は、少女漫画や少女系ライトノベルでの定番である。
という訳で、現代日本で『嵐が丘』の直系を探すとすると、『本格小説』よりは『イリヤの空、UFOの夏』とかの方が近いのではと思う。あるいは『銀盤カレイドスコープ』とか。確かに、ストーリーや構図だけ見れば、『本格小説』が近いのだろうが、(というか、本歌取りをしているのだから近いに決まっているのだが、)エミリー・ブロンデが最も力を入れたのは、ストーリーや構図じゃなくてキャラクターではないかと思う。何故なら、ヒースクリフの復讐というストーリーの主軸を重んじるのなら、復讐する側を強く、される側を無力にすれば良いのに、ヒースクリフが意外とへたれでエドガー以外の全員がツンデレなせいで、復讐らしい復讐になっていないからだ。
『嵐が丘』に対し、文壇は、最初批判し、後に再評価して取り込みを図ったようだ。文壇というものは、十九世紀から変わらず保守的であり、「文壇+非文壇」の小説全体の領域もまた、あまり変わっていないのだろうか。
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