電波男 感想





 あまりの嘘の無さに心動かされ、放心状態になった。
 『電波男(本田透、三才ブックス)』の感想である。
 タイトルからして『電車男』のパロディだし、表紙は恥ずかしいし、帯には「もはや現実の女に用はない。真実の愛を求め、俺たちは二次元に旅立った。 負け犬女は萌えないゴミ! 」とか書いてあるし、実際、「〜なんだYO!」とか「な、なんだってー!」とか軽い口調でおたくの素晴らしさが語られているし、おちゃらけた本だと思っている人が多いのではあるまいか。しかし実際は目茶苦茶真面目でまじな本なのだ。

 評論として見ると首を捻る所もある。エキサイトブックスのインタビューでも指摘されていたが、腐女子に対する認識がひどい。「俺は、彼女らはいわゆる萌え系のオタク男とはまったく異なる、絶対に分かり合えない別次元の人種だと考えている。むしろ、恋愛資本主義に漬かっているけど、まだそれほど頭が固まっていない非オタの女の子をリロードしてオタクにしてしまうほうが良いだろう。」なんて書いてある。一方で、「「お前より、みさき先輩のほうが俺には大事だあああっ!」 と言い張っても怒り出さない、そんなアナログ女が出現すれば、二次元至上主義の我輩も、「兄」と「妹」として付き合ってやってもかまわぬぞえ。」とも書いている。それって、自分は三次元の恋人のことを二番目扱いしておきながら、相手に「私もあなたより直江の方が大事だけどね。」と言われるのは嫌だってことじゃないかYO!
 また、酒井順子氏のような「負け犬」を叩くためとはいえ、『オニババ化する女たち 女性の身体性を取り戻す』(三砂ちづる、光文社)を誉めているのもいただけない。この本は女性はとりあえず結婚した方が幸せになれるって主張しているわけでしょう。真実の愛を訴える本書の主旨とまるで逆じゃないかYO! 三砂さんが本田さんみたいな生き方を認めるわけないじゃないかYO!
 さらに、男はオタクをやめるとDQN(知性よりも暴力な人々)になると主張しているが、二次元で発散してDQNになるのを必死に抑えているというタイプのおたくは少数派で、根っからまったりしている人の方が多いと思う。
 もちろん、鋭い指摘もあって、本書の根幹を為す「恋愛資本主義」によって負け犬が搾取されているという主張には感心したし、「火の鳥」などを「もてない男」の話として捉え直した作品論は面白い。一方で、一機果敢に書いたものらしく、さくさく読める反面、主張が整理されていない部分も多い(見合い結婚に対する態度とか)。

 しかしながら、評論ではなく、私小説としてみると、希代の傑作である。最後まで読むと、本田さんが誰よりも真剣に愛を求めていて、それ故に、なんとしても二次元の女性が必要だったことが分かって慄然とする。本書のあまりの重さの前には、あらゆる本が薄べったく思えてしまう。

 本書には二つのことを思い知らされた。一つは人間はそれぞれ違っているということだ。上で、評論として見ると首を捻る所として挙げた個所は、私小説として見るとむしろ美点である。というのは、上記の点は本田さんの実感が表れている個所であり、愛に関して嘘をついていないことの証明であり、本田さんと私の考え方、感じ方が異なっていることを示しているからだ。優れた私小説は、すべからく多くの人が建前上共有している価値観から一歩踏み込んでいるが故に、人間はそれぞれ違っているということを教えてくれるものなのだ。
 もう一つは、フィクションがすごい力を持っているということだ。良く、「パイロットが飛行機を落とせば人が死ぬが、作家が原稿を落としても誰も死なない」と言うが、人によっては、フィクションは命懸けのものなのだ。とにかく、本気で、渾身の力で、人生を懸けて書かなくてはならない。少なくとも、「電波男」の後に読んで、放り投げられない程度の強度を持ったものを書かなくてはいけない。物書き志望の端くれとして決意した。



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