電車男 感想





 時期外れもここに極まれりという感じだが、今頃まとめサイトを読了した。ただし今頃読んだせいで良いこともあって、それは一年遅れのほぼ同時期に読めたこと。たしかに春はそわそわして出会いがありそうな季節だ。
 この物語が秀逸なのは、電車で出会ったという点である。この話は電車男(おたく)がエルメス(おしゃれ負け犬)という全く違った文化圏の人間と出会うという、「王様と私」や「ラストサムライ」と同じ骨格を持っている。近代までなら、この様な異文化交流をするにはかなりの距離を移動しなくてはならなかったが、現代では電車で隣に立っている人が異文化圏の住人なのだ。現代において、個々の文化圏はタコ壷化しており、多くの人が、漠然と異文化圏の人とは生涯深い関わり合いを持つことはないだろうと感じているが、実際は、異文化の壁などちょっとした勇気で乗り越えられるものなのだ。だって電車の中ですぐ側に立っているのだから、ということを提示したのは意味があると思う。
 電車男に対しては、本田透さんが「電波男」の中で、「脱オタ=恋愛=幸福」という反オタクムーブメントがメディアで展開されている」「なぜ電車男は、エルメスをオタクにしようとしないのか?」「エルメスのティーカップを叩き割れっ!」と激烈に批判している。私自身も、彼女が欲しいからといっておたくを止めようとは思わない。しかしながら、異文化に対する態度として、電車男さんのような態度も、間違いではない。例えるなら、占領軍に対し、レジスタンスになって抵抗せず、素直に協力するようなものだ。確かに誇りに欠ける態度かもしれないが、それで早く平和が訪れ、幸せに暮らせるのなら、否定すべきではないだろう。

 この物語の面白さの半分は、上記のようなものだが、残りの半分は、毒男(独身男のこと)の皆さんの気のきいたネタだ。アスキーアートを駆使し、他人同士できっちりボケとツッコミを成立させ、時には自虐的に、時には感動的に物語を盛り上げた無数の人達の存在は、わりと感動的だ。彼らは全く無償労働な上に、匿名だから名声も得られない、完全なボランティアだ。だから、多くの人が言っているように、一部の人だけが書籍版の利益を得ているというのは、リナックスを有償で売っているような、すっきりしないものを感じるし、実際批判されている。毒男の皆さんは、書籍が発売されようがされまいが、報酬が得られない点で変りはない。にもかかわらず、毒男達に対して不当だと感じるのは、書籍が発行されたことによって、彼らの行為が趣味から仕事へと強制的に変化させられたからだろう。労働と対価ということを考える上でも、「電車男」の騒動は興味深い。

 評論ではなく感想を書くと、「大人のキスできる?」あたりの波状攻撃にやられた。会社で昼休みに見ていて、顔がにやけまくっていて、通りがかった先輩にやらしいと指摘されてしまった。



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