そこに階段があるからだ――『学校の階段』感想



 面白かった〜〜! というのが『学校の階段』(櫂末高彰著、ファミ通文庫)を読んだ感想だ。階段レースという架空の競技の魅力が存分に描写されていて、クライマックスバトルは目茶苦茶燃えるし、キャラクターもやたら立っている。『銀盤カレイドスコープ』なんかが好きな人には文句無しにお勧めだ。と、ここまで書けば紹介としては必要十分なのだが、ここでは本作のテーマについて考えてみたい。

 「そこに山があるからだ。」というのはエベレスト初頭頂に挑んだマロリーが、”なぜエベレストに登りたいと思ったんですか”と問われて答えた言葉として有名だが、本多勝一さんが誤訳だと主張している。マロリーが言った"Because it is there"は「そこにエベレストがあるからだ。」と訳すべきだ。単なる山ではなく未踏峰のエベレストだからこそマロリーは登ったのだ。未踏峰だからこそマロリーの行動は価値があるのであり、後続の亜流とは全く違う。という主張だ。
 氏の意見はマロリーの業績を評価する立場としては正しいと思う。だが、マロリーはエベレストが未踏峰で価値があるから登ったのだろうか。

 人が何かをする動機には「価値があるから」と「したいから」の二つがある。大抵は「価値があってしたいから」やっているのだが、『学校の階段』の階段部の連中のしていることは全くの無価値だ。そのことは「ハムスターの回し車」として象徴的に表されている。階段部の活動は無価値どころかマイナスの価値を持つとして迫害されてすらいる。それでも彼らは走るのを止めない。彼らの走りたいという思いは何より純粋だ。そこに私はうたれた。

 以前、「ライトノベルはジャンクフードで結構だ。正当な評価などいらない。」という主張を見て、差別構造を是認するものだと反感を感じたのだが、ようやく主張した人の気持ちが分かった。彼らにとっては評価などどうでもよく、ただライトノベルが読みたいから読んでいるのだ。彼らは何故ライトノベルを読むのかと問われたらこう答えるだろう。「そこにライトノベルがあるからだ。」と。

 蛇足だが、本作に登場する女性は何と全て年上である。お姉さん好きな人にもお勧めだ。



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