群像2005年10月号 感想
11人評論競作特集号。桜坂洋論が文芸誌に! とネットで話題になったが、それだけでなく、鹿島田真希論にもマリみてが言及されていたりとライトノベル的なものが純文学に侵蝕しているなあと感じた。あと、『現代小説のレッスン』に言及している人がやたら多いのも面白かった。
一作も読んだことのない作家に対する評論を読んでもしょうがないので、読んだことのある作家への論に対してのみ感想を書く。文中敬称略。
「淫靡な戦略――阿部和重の<核>なき闘い 阿部和重論 伊藤氏貴」
「個性」というのは「キャラクター小説」を形作るものなわけだが、確かに、最近氾濫している同級生を冷めた目でメタ的に眺め、俺はお前らとは違うんだと思っている一人称小説は没個性的ではある。
「聖なる愚者は<父の言葉>を超えられるか 鹿島田真希論 菅聡子」
確かに、ライトノベルにおいて暴力があまりにあたりまえのものになってしまっていることと、暴力を経験せずに書いていることは、対峙していくべき問題だ。「フェミニズムの結果として戦闘美少女/ヘタレ系少年という役割交代が生じているのだから今さら文句を言うな。」という私が言いたいことを先回りして言われ、釘を刺されてしまいくやしいので、さらに言うと、フェミニストは「兵器化する少女たちの姿を見て見ぬふりをして」きたのではなく、単に眼中になかっただけだろうとは思う。『少女革命ウテナ』なんてフェミニストが論じるためにあるような作品なのに、殆どそういう評論が出てないし。
「コンラッドの末裔たち 1900/2000 桜坂洋、平山瑞穂、山崎ナオコーラ論 福島亮太」
一読して理解不能だったが、図に書いてみたら極めて明快で、文学全体を俯瞰する構えの大きい評論だと分かった。見えないものを見ようとする「自然主義」と見えないままにしようとする「反自然主義」の対立を軸に、見えないものたる「他者」が消滅に向かい、最後の他者として「時間」が自然主義の対象になっている、という論理展開はダイナミックで面白い。論者は私にとって間違い無く他者だ。
後半では、「時間」を捉えるためのアプローチとして三作が紹介されているのだが、桜坂と山崎を並列的に論じるのは無理があるのではないだろうか。桜坂が導入した「時間の反復」は作品の根幹であり、論理側から時間に迫ろうというアプローチだが、山崎が用いたとされる「身体に作用する時間」や「日付の挿入」は小説の一要素にすぎない。山崎の戦略は、「作品内のリアリティーを高めていけば、結果的に時間や空間を描いたことになる」というものではあるまいか。
「虚構の力を立て直すために必要なのは、諸環境に対する作家の態度を明確にすることである。」という結論は、批評にかんしては正しいが、文学に関しては半分しか正しくない。無意識の作用を無視しているからだ。
「更地と希望――佐藤友哉『子供たち怒る怒る怒る』を読む―― 佐藤友哉論 陣野俊史」
脱社会的存在たる子供のみによって完結する最小限の共同体を書いている点が佐藤友哉の抜きんでている点だと主張しているのだが、同種の共同体はライトノベルではありふれたものであり(橋本紡の七曜日シリーズ等)、「文芸誌に書いている作家の中では抜きんでている」に過ぎない。また、『子供たち怒る怒る怒る』を論じるなら、明らかに発想元となっているだろう『ネガティブハッピー・チェーンソーエッジ』との関連を論じるべきだろう。評者の知識が純文学側に片寄っているのが問題なのだが、ライトノベル寄りの人では、佐川光晴や星野智幸との関連は論じられないのでこれはしょうがない。何もかも読むわけにはいかないのだから。
「『水晶内制度』伝 笙野頼子論 佐藤康智」
「水晶内制度」を通して何かを論じているのではなく「水晶内制度」について論じているので、「水晶内制度」を読んでから読むべきだった。
「Minimum Soul, Maximum Rock'n Roll 古川日出男論 仲俣暁生」
評者がいかにして古川日出男と出会ったかといった下り等、脇道記述が多いのだが、真ん中にポコリと穴があいているというキーフレーズで無理矢理まとめてしまった所は格好良い。
「正義の味方 町田康論 水牛健太郎」
面白かった。町田康は一貫して楠木正成の子供達を書いているという主張の論拠が明快だし、現代における正義の在り方に結び付けた結びには共感を覚えた。
他に、座談会、対談が二つ載っている
「奥泉光+北村薫+法月綸太郎 小説内リアリズムと読みの多義性」
ミステリーの根本的な問題点として終わらなくてはいけないことを指摘していたのがなるほどと思った。あとは白菜の謎が面白かった。
「保坂和志+石川忠司 小説よ、世界を矮小化するな」
事前に二人の評論を読んで感心したばかりで、和やかな対談になるのかと思っていたら、二人が仲良しだったので、丁々発止になっていて驚いた。「小説家としての保坂和志は本当に偉大だけれども、人間としての保坂和志は本当にろくでなし極まりない。」とか。そういう掛け合いと共に、小説家と評論家とで、それぞれ論理と実感を重視するが故に議論が噛み合わない所が面白かった。テーマでは「ない」ということをいう言葉がないという話と、世代交代の話が印象深かった。
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