保坂和志と森博嗣――書きあぐねている人のための小説入門 感想



 電撃小説大賞に出してから中途半端に書きあぐねていたので『書きあぐねている人のための小説入門』(保坂和志著、草思社)を読んだらやはり中途半端に書きあぐねた状態になったのだが、書きあぐね方が以前のとっかかりが無いので困った状態から、難儀なことだと腰が重い状態へと変化したので、全く読む意味がなかったわけではない。というよりむしろ断然読んでよかったわけだが、エンターテイメントをばりばり書いている人はたちどころにまるで書けなくなる恐れがあるので、読まない方が良いだろう。

 本書を読んで思ったのは著者の保坂和志さんが森博嗣さんと似ているということだ。ざっと似ている点を挙げてみると、
1プライベートな時間を大事にしている。
2エッセーを沢山書く。
3常識に挑戦する。
4読者の反感を買うことを恐れない。
5エヴァンゲリオンを見た。
6キャラクターがリアル。
でもって一番重要なのは、7ストーリーを決めずに書く ということだ。
森博嗣さんがタイトルとキャラクターを決めたらプロットやトリックは決めずにまず書き出すのは有名だが、保坂さんも本書で、登場人物と場所を決めたら、「登場人物にその場その場で何かをやってもらう」と書いているので、書いているのがミステリーと純文学という違いはあるものの、方法論は殆ど同じであることが分かる。
 こういうストーリーを決めずに書き始めるやり方は、無駄な描写が多くなりがちで、小説の書き方では大抵戒められている。しかし、保坂さんは、「ストーリー・テラーは結末をまず決めて、それに向かって話を作っていく」と分析し、そういうエンターテイメントの面白さも認めた上で、その方式のデメリットを二つ挙げている。
*「結末が書く前から決まっていたら、書きながら考えて成長することができない。」
*「細部での人の心の動きは、動きといっても行き着く先が決められている動きでしかないものだから、本来のダイナミズムを欠いた予定調和的な動きにならざるをえない。」
保坂さんは、小説とはプロセスであるということを、繰り返し主張していて、確かに小説を書きながら考えないと、小説ならではの表現にはならないだろう。

 ライトノベルでも、森博嗣さんの流れを汲む西尾維新さんの影響で、ストーリーが殆どない小説が増えているが、そういう小説は、ストーリーの有無という点では直木賞的な大衆小説よりも純文学に近い位置にいるというのは面白い。例えば、新井輝さんの『ROOMNo1301』シリーズは登場人物の会話によって思索を深めていくところなど、保坂和志さんの小説とそっくりだ。そもそも、ライトノベルはキャラクター小説と言われていたのだから、ライトノベルが非ストーリー的になるのも当然である。だが、単にプロットを立てずにサクサク書いていた小説はしばしば、かって読んだ小説の縮小再生産になってしまう。それは純文学的でないのみならず、エンターテイメントとしてもつまらない。
 
 私的な話になるが、春に書いた小説に対し閏さんが「やや悪い意味で裏切ってもらえなかった」と指摘したのも、結末から逆算して書いたからだと気づいた。やはりもっと良くならないかと踏ん張って考えないと良いものは生み出せないのだ。それはしんどいことだけれど。



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