複雑なワールドカップ



 ワールドカップで日本がクロアチアと引き分けた後の状況は複雑だった。会場やスポーツバーなどの映像を見ると、悲しんでいる人と喜んでいる人がいたのだ。彼らの反応を分析すると、次の四通りに分けられる。
1このまま三連敗か(悲観的)→やった!引き分けたぜ!(喜び)
2クロアチアには勝てるだろう(楽観的)→勝てた試合なのに(悲しみ)
3よし!次ブラジルを叩きのめせば決勝リーグだぜ(楽観的)→(喜び)
4ブラジルに勝てる訳ないじゃん(悲観的)→(悲しみ)

と言う訳で、楽観的かどうかと喜ぶかが入り乱れていたのだ。大抵の人は1〜4の感情が入り交じっていたことだろう。ちなみに私は1+4でやや喜んでいた。しかし、よくよく我が心を見つめてみると、他の感情も交じっていることに気がついた。それは、

5これでもう絶望的だ→(喜び)
という感情だ。これは、別にアンチ日本代表な訳ではなく、絶望的なことによる快楽というものをある程度感じていたのだ。

 以前読んだ論説文で、勝負は負けたい気持ちをうまく手なずけた方が勝つというものがあった。負けることは、勝負の最中の不安定な状況から脱するため、勝つほどではないにしろ、快楽を伴うというのだ。
 さらに、負けることによって快楽も感じるのは、ハッピーバランスを保つための防衛本能とも考えられる。逆の例として、あまりに良いことがあると、何か悪いことが起こるのではないかと不安になったりもする。柳沢氏がゴールを外したのも、ハッピーバランスによるのかも知れない。

 しかしながら、テレビなどのマスメディアはこうした感情の機微を排除し、単に勝つとうれしい、負けるとがっかりという機械的な論調に終始していた。もっと世界は文学的複雑さに満ちているのだ。



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