何故女装少年が流行るのか




 最近、ライトノベル界隈では女装少年が人気だ。
 女装少年には物語的位置づけによって二タイプある。一つは『乙女はお姉さまに恋してる』の宮小路瑞穂のように、主人公の女装少年がヒロイン達との恋を育むもの。これを「ヒーロー型女装少年」と名づけよう。もう一つが、『バカとテストと召還獣』の木下秀吉のように、女装少年がヒロイン的ポジションにいるもの。これを「ヒロイン型女装少年」と呼ぼう。

 近年、とみに勢力を拡大しているのが、「ヒロイン型女装少年」だ。先に挙げた秀吉を始め、『さよならピアノソナタ』のジュリアン・フロベールや『僕は友達が少ない』楠幸村など、多くのヒロインが登場するライトノベルでは、そこそこの確率で「ヒロイン型女装少年」が登場すると言って良い。
参考リンク:女装萌えなライトノベル作品をその場の勢いでまとめてみた
 最近では、『アイドルマスター』の秋月涼が実は男だと判明してファンに衝撃が走った(らしい)。

 何故、「ヒロイン型女装少年」が流行っているのだろうか。「ヒロイン型女装少年」にはある共通する特徴がある。ほとんどの場合、性格が優しく、男であることを除けば古典的な意味でヒロインらしいヒロインなのだ。ここに、「ヒロイン型女装少年」流行の鍵がある。
 ライトノベルを初めとするおたく向けフィクションでは、たいていの場合、ヒーローとヒロインが恋人同士になる時=物語の終わる時である。ロレンスとホロが、キョンとハルヒがくっつかないのは、物語を終わらせないためである。
 たいていの場合、ヒロインがツンデレなせいで素直になれないとか、ヒーローが鈍感なせいでヒロインの好意に気づかないといった設定を用いて、物語の延命を図っている。だが、この方式はやりすぎるとわざとらしいし、何でさっさとくっつかないんだよ! といらいらさせられる。読者にそう思われないためには、ヒーローとヒロインがくっつかないための障害が必要だ。作品によっては、ヒーローとヒロインがくっつくと世界が滅ぶといった大掛かりな設定を導入してまで、ヒーローとヒロインをくっつけまいとする。
 「ヒロイン型女装少年」の良い所は、特に難しい設定を持ち込まずとも、ヒーローとヒロインが恋人同士になる恐れが極めて薄いことだ。しかも、男同士という極めて高い障壁があるお陰で、女装少年のけなげな恋心に主人公が応えなくても、不自然ではない。

 ヒーローとヒロインを物語の最後までくっつけないというお約束が存在する限り、女装少年は求められ続けるだろう。



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