神様のメモ帳とは何か



(本稿は『神様のメモ帳』のテーマに触れています。未読の方はご注意下さい。)

「神様のメモ帳の、ぼくらのページにはこう書いてあるのさ。『働いたら負け』ってね。」

 『神様のメモ帳』(杉井光、電撃文庫)に登場するニート探偵アリスは自分がニートである理由をこう説明する。最初これを読んだとき、私は反発を感じた。神様のメモ帳にあらかじめ何かが書いてあり、それは覆せないのだとすれば、人間には自由意志がないことになる。
 同様の反発はCLAMPさんの漫画に良く出てくる「偶然なんてない。全ては必然なのよ。」という警句を読んだ時にも感じた。全てが必然だとすると、不幸な人もそうなるのが必然だったことになる。そう主張することは、例えば通り魔に刺された人に向かって、お前が刺されたのは必然だと言い放つに等しいのではないのか。だが、本書を最後まで読んで、気がついた。『神様のメモ帳』や『必然』は過去を振り返ったときに初めて出現するものなのではないだろうか。

 本作において過去が重要な要素であることは、アリスの次の台詞に見ることができる。

「すでに死んでしまったもの、失われてしまったものに対してなにか意味のある仕事が為せる職業は、この世の中でたった二つしかないんだ。つまり作家と探偵だ。作家だけがそれを夢の中でよみがえらせることができる。探偵だけがそれを墓の中から掘り返して情報に還元することができる。それは宗教家にも政治家にも葬儀屋にも消防士にもできないことなんだ。」

 もう一つ引用しよう。アリスがニートについて述べた箇所だ。
「ほとんどの人間は、可能性が無限であるということがほんとうはどういうことなのか理解し得ない。自分が乗っている船の後ろの方で、自分とは逆向きにものすごい力で漕いでいる人間がいることなんて想像もつかないのさ。そうだろう? だってそっちを向いていないんだからね」

 最初読んだときは単に一般人とニートでは向ける力のベクトルが違うということを言っているのだと思った。だが、これは一般人が未来を見ているのに対し、ニートは過去を見ているという意味なのではないか。
 人間は未来を見ているつもりでも、実際に見ることができるのは過去だけだ。そして過去を振り返ると、全てが必然で動かしがたかったもの(=たったひとつの冴えたやりかた)だったかのようにみえる。なぜなら「人生には取り返しのつかないことしかないのだから。」

 しかしながら、本当に我々は過去しか見ることができないのだろうか。この問いに対しても、アリスは鋭い示唆を与えてくれる。 

「なぜならぼくが、ニート探偵だからさ。探偵は安楽椅子にふんぞり返ってどれほど論理をもてあそぼうとも、最後には必ず自分の手を血だまりに突っ込まなければいけないんだ。そうしなければ、死んだ世界にしか触れられなくなってしまう。」

 ここでアリスは論理=失われたもの・死体と、血だまりが象徴する身体を対峙させている。確かに、論理は既にあるものからしか組み立てられないが、身体は現在に存在している。アリスの主張は要は「考えてばっかいないで体を動かせ」といったもので、実感として納得できる。しかしでは、アリスの主張を踏まえて、文字情報のみで構成され、身体を持たない小説はどうすれば良いのだろうか。何とアリスはこのことまでも語っているのだ。すごいよ。すごすぎるよアリス!

「この美しさは、ほんとうだ。これだけは事実だ。だからこれは、きみが受け取らなきゃいけない。そうだろう?」

 アリスの台詞に注釈をつけるだけでこの論考が成立してしまったことからもわかるように、本作は考えに考え抜かれた論理に裏打ちされた小説だ。だが、この小説の本当の価値はそこには無い。真に心を打ち、身体を揺さぶるのは論理では捕らえきれない夜明けのシーンだ。その美しさこそが、「すでに死んでしまったもの、失われてしまったもの」を扱う小説において、唯一まだ生きているもの、現在に属するものなのではないだろうか。


(09.08注)最後の引用箇所に転記ミスがあったので修正しました。

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