加藤清史郎だけは天才だ
大河ドラマ『天地人』における加藤清史郎の演技は圧巻だった。もちろん、氏の愛らしい風貌が印象を強めているという側面はあるだろう。しかし、それを差し引いても、氏の演技は子役にしては上手いというレベルではない。大人の役者と比較しても、あれだけ心揺り動かされる演技が出来る者はそうはいない。
天才は存在するか、という議論がある。
岩波国語辞典によると、天才とは『生まれつき備わったすぐれた才能。そういう才能をもっている人。』とある。一般に、一流と呼ばれる人達には、それほど努力しなくても素晴らしい能力を発揮する天才型と、人一倍努力することで、現在の能力を獲得した努力型がいると思われている。
それに対し、天才などいないのだ、と主張する人もいる。イチローのように天才と呼ばれる人でも、実際には人一倍努力した結果だという指摘だ。アインシュタインも『天才とは1%のひらめきと99%の汗だ』と言っているし、努力の天才という言葉もある。そのことを裏付けるような研究もある。
あなたも「天才」になれる? 10000時間積み上げの法則
マルコム・グラッドウェル氏の研究によると音楽学校でバイオリンを学んでいる生徒には「練習をせずに天才的才能を発揮する」人も、「いくら練習をしても上達しない人」の両者も見られなかったのだという。
しかし、小説や演技といった能力になると、また、話は変わってくる。生まれて初めてその楽器を弾いたのにプロ顔負けという話は聞いたことがないが、初めて書いた小説でデビューという作家は時々存在する。しかし、その場合でも、確かにイマジネーションを小説として文字にしたのは初めてでも、多くのフィクションに触れることで多くの引き出しをストックしていたり、常日頃から脳内で空想していたり、日常生活を通じて人間観察力を高めていたり、といった小説家として必要な資質を無意識のうちに鍛えていた可能性もある。従って、ろくに小説を書いたこともないのにいきなりすごい小説を書いたからといって、必ずしも天才だとは言い切れない。
だが、一つだけ例外がある。加藤清史郎のような天才子役だ。各種記事を読むと、氏はかなりの頑張り屋だという。しかし、いかに氏が努力家であったとしても、七年間努力したに過ぎない。一歳のころからの芸歴というから、同世代の中では群を抜く努力を積み重ねているのだろう。しかしそれは子役としての話だ。世の中には、七年以上芝居の稽古をしている役者はいくらもいるが、彼らの大半は、加藤清史郎より心打つ演技をすることが出来ない。
アインシュタインやイチローが天才でなかったとしても、加藤清史郎だけは天才だ。
PS.書き終えてから気づいたのだが、一歳から七歳の六年間でも、毎日4.6時間努力すれば、10000時間積み上げることが可能だ。ああ、加藤清史郎も天才ではないのか…… ただ、物心つく前から芝居の技能をそんなに長時間磨いていたとも思えないので、10000時間積み上げる前に天才的演技を見せた可能性が高くはあるのだが。
(文中敬称略)
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