未来系の読書術感想




 『未来形の読書術』(石原千秋、ちくまプリマー新書)は薄い本だが、はっとさせられることがいくつも書いてあった。
 まず感心したのが、「三つの領域(「内(現実)」「境界領域」「外(異界)」)を主人公が移動するのが、物語である。」という簡潔な定義だ。そう考えると物語のパターンは1)内→外→内、2)外→内→外、3)外→内、4)内→外の4つしかないという。石原氏は大人や都会を「内」に、子供や自然を「外」に分類している。
 この定義は様々な小説を整理するのに有用だ。例えば、桜庭一樹氏と橋本紡氏は共にライトノベルからの越境作家であり、共通点が多いように思える。しかし、この分類を用いれば、桜庭氏は3)パターンを得意とする作家で、橋本氏は4)パターンを好んで描く作家だと明確に区別することができる。
 
 最も興味深かったのは、すぐれた小説とは多様な解釈が可能な小説であると主張していることだ。
 筆者は「読者の解釈によって言葉の隙間が埋め尽くされ、それ以上新しい読みを生まなくなることだ。(中略)それは、小説にとって死を意味する。」と主張する。
 それを避けるために、「小説家は自分の言いたいことを書くために小説を書くのではない。自分のもっとも言いたいことを隠すために書くのだ」という。
 しかし、ケータイ小説が売れている現状を見るに、多くの読者が望んでいるのは、解釈が多様性が少ない、分かりやすい小説ではないか。筆者はそういう本を読むことを「過去形の読書」と読んでいる。「過去形の読書」は自己確認、自己肯定のための読書だ。それに対し、表題にもなっている「未来形の読書」とは、新しい自分を発見するための読書だとしている。つまり現代の出版界は過去形の読書によって席巻されているということだ。とにかく本書は本について分析するのに非常に役に立つ。

 ただ内容を紹介して感心しているだけではしょうがないので、異論も書いておこう。多様な解釈を生む優れた小説は、確かに、作者が言いたいことを隠すことによっても生まれるだろう。しかし、それは枝葉の技術であって本筋ではないように思う。優れた小説は、作者が、論説の言葉が届かないことを何とか読者に伝えようと悪戦苦闘することで生まれるのではないだろうか。小説は一種のコミュニケーション手段である。コミュニケーションに陰影をつけるため、作者が読者に伝えないことがあるのは良いだろう。しかし、伝えないことを基本姿勢として読者に対するのは、不誠実であるように感じる。このように感じるのは、私が伝達=善という価値観に毒されているからかもしれないが。



トップページに戻る