小説に書いたことは実現する――ネコのおと感想
『ネコのおと リレーノベル・ラブバージョン』は富士見ミステリー文庫ゆかりの七人の作家によるリレー小説だ。作家本人が登場する破天荒な展開がネット界隈で話題になった本作だが、私は小説の原初的力に関して考えさせられた。それは、「小説に書いたことは実現する」という力だ。
本作には、「学級日誌」が登場する。そのルールとして「日直は日誌に書いたことが嘘にならないように気をつけましょう」というものがある。これはこの小説のローカルルールのようでいて、実は小悦の普遍的ルールである。つまり、「伏線を張ったら回収しろ」ということだ。もちろん、伏線を張りまくって、ことごとく回収しない小説を書くことは可能だ。だが、「伏線―回収」というパターンは、小説の面白さに関して大きな比重を占めているので、それ抜きで面白い小説を書くのは困難である。さらに本作はリレー小説である。伏線を張る作家と回収する作家が別だ。自分が張った伏線を捨て伏線にするのは勝手だが、他の作家がせっかく張った伏線は捨て難いだろう。逆に、自分の担当話であまりに伏線を張ってしまうと後の作家がたくさん伏線を回収せねばならず、心苦しい。その二つの心理から、本作は少ない伏線を皆が必死に拾うという変わった構成となったのだ。
本作は第3話から人が死にまくる怒涛の展開になるが、こうなったのはあながち第3話を書いた水城さんのせいばかりではない。なぜなら、学級日誌のルールに「以上のルールが守れない人は死んでもらうことになります」という不穏なことが書いてあり、水城さんはこの伏線を回収したに過ぎないからだ。ということは、この一連の殺人事件の犯人は、学級日誌のルールを作った人ということになる。このルールを誰が作ったかは分からないが、もし鷹木編集長が考えたのだとしたら、真の犯人は編集長だったという驚きの結論になるなあ。
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