愛しい人は一人だけ――狼と香辛料 感想



 ホロ、ホロ、ホロ、ホロ、ホロ〜〜〜!!!
 というのが『狼と香辛料』(支倉凍砂著、電撃文庫)を読んだ感想である。私が言いたいことはヒロインのホロが素晴らしいということだけなのだが、それだけではなんなので、もう少し書いてみる。
 本作には主要キャラの内、女性がホロ一人だけだ。これは昨今のライトノベルでは非常に珍しい。
 あかほりさとるさんや天地無用以降のライトノベルでは、ラブコメはもちろんのこと、バトルものであっても、複数のタイプの異なった女性キャラが登場するのが普通である。例えば、ツンデレしか登場しない小説なら、ツンデレ好きしか喜ばないが、ツンデレと巫女さんとメイドさんと眼鏡が登場すれば、より多くの男性が喜ぶというわけだ。さらに、異なったキャラクターを対比することで、それぞれのキャラをよりはっきり立たせるという効果もある。

 しかしながら、多数のヒロインが登場する小説には二つの問題がある。
 第一に、印象が似通ってしまうことだ。ヒロインが一人なら、オリジナリティーの高いキャラクターを造形することも可能だが、人数が増えるほど、独特のキャラを考え出すのは困難になり、結果としてどこかで見たことのあるようなキャラクターが登場することになる。
 また、キャラクター同士はそれぞれまるで違っていないと駄目なので(同じようなキャラクターのみが大勢出てきても、多くの男性が喜ばないし、キャラの対比によってキャラクターを立てられない)全体の印象としては、「色んなキャラクターが出てきてわいわいがやがやと繰り広げられる何か見たことのあるようなラブコメ」になってしまう。

 第二の問題は読者と主人公の感情に齟齬が生じることだ。
 複数ヒロインのラブコメでは通常ヒロイン皆が主人公を好いている。すると、当然、一人のヒロインしか幸せになれない。先ほどの例で、ツンデレヒロインが主人公とくっついて終わった場合、巫女さんとメイドさんと眼鏡好きの読者は主人公に共感できず、ストレスを感じるだろう。自分の好みのキャラを選べるギャルゲーと違って、ライトノベルは作者の任意によってヒロインが決められるので、主人公に自分を同化して読んでいると、しばしば主人公と読者の行動に乖離が生じてしまう。
 ぎをらむさんも指摘されているように、最近では、『わたしたちの田村くん』や『かしまし』のように第二の問題を逆手にとって主人公にシリアスな決断を強いる作品も増えている。特に、ギャルゲーをアニメなどの単線的メディアに移植した作品では、必ず第二の問題との対決を迫られている。しかし、「一人の女性しか選べない(選ばれない)残酷さ」をテーマにして、作品としてのクォリティーは高まっても、選ばれなかったヒロインが好きな読者が不満に思うことに変わりはない。アニメの『D.C.S.S.』はギャルゲーの構造そのものに疑問を呈していて、私は面白かったのだが、ネット上で見る限り、ことりファンなどには不評だったようだ。

 では、第一、第二の問題を回避する方法は無いのだろうか。
 ごく単純な解決法がある。ヒロインを一人にすれば良いのだ。その場合、そのヒロインが好みでなければ、その読者にとっては即いまいちになってしまう危険性がある。しかし、『狼と香辛料』の場合、ヒロインのホロが圧倒的に素晴らしいため、ケモノ好きのみならず、多くの読者をノックアウトしており何の問題もないのだ。
 結局のところ、ヒロインを何人にするかは、作者、及び読者が、何人のヒロインに囲まれていたいかという問題に集約されるのだと思う。
 私の場合、多くのヒロインに囲まれている状態は、気疲れするばかりであまり楽しそうに思えない。本当に愛しい人が一人側にいれば十分だ。



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