データに基づかない議論は無価値か――おまえが若者を語るな! 感想
Someting Orangeの記事で興味を持って読んだ、『おまえが若者を語るな!』(後藤和智著、角川oneテーマ21)は痛快な本だ。私も常々、論壇であまりにデータが軽んじられていると感じていた。『ライトノベルは会話が多いか』を書いたのもそこに一石を投じたかったからだ(『ライトノベルは会話が多いか』も統計学的厳密さを欠いてはいるが)。なので、『今こそ、データに基づくまともな議論をする時だ!』という筆者の主張には全面的に賛成だ。
また、『「世代」だけを基準に内ゲバを繰り返しているのでは、真に問題にすべき権力の構造を素通りしてしまうから』世代論から決別せよという主張にも説得力がある。
ただ、データに基づかない議論が全て害悪であるかのような書き方には違和感を覚える。データに基づかない議論が駄目だというのなら、哲学は全て無価値ということになってしまうではないか。
何故か本書では全く取り上げられていないが、ほとんどデータに基づかずに議論を行い、しばしば若者論も書く評論家に内田樹氏がいる。氏はたまに、「地球温暖化より寒冷化を心配すべきだ」というようなとんちんかんな主張をすることがある。それは後藤氏が主張する「データに基づかない議論」の欠点の表れだ。
だが、内田氏はしばしば「憲法九条は現実と合致していない点が素晴らしい」というような読者をはっとさせるような主張を行う。このような発想は如何なるデータからも出てこない。だが、読者に新たな視点を提供するという点で、極めて有益だ。後藤氏の主張からはこの観点が抜け落ちている。本書中でも、東浩紀氏が提唱した「データベース消費」等の概念などは、「読者に新たな視点を提供する」という観点からは有益なのに、データに基づいてないことのみに基づいて一方的に断罪しているのはいかがなものか。
結局の所、「データに基づかない議論」批判が現状に対するアンチテーゼとして書かれているのか、それとも本当に「データに基づかない議論」を撲滅しようと考えているのかで、本書に対する評価は大きく変わる。
同様の例はしばしば見られる。本田透氏に対する評価もそうだ。私は氏の恋愛資本主義批判を、現状に対するアンチテーゼだと理解しているため、賛同している。一方、海燕氏は「二次元が三次元より上だ」と主張していると解釈し、批判しているようだ。
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