何故お笑い漫画のお笑いシーンで笑えないのか



 私は普段ほとんど漫画を読まないのだが、無料漫画雑誌『コミック・ガンボ』は何しろ無料なのでもらって毎週読んでいる。『コミック・ガンボ』には『昭和バカ囃子 林家木久蔵物語』と『ステージガールズ』というそれぞれ落語と漫才を題材にした作品が連載されているのだが、読んでいて気がついたことがある。登場人物が客を笑わせているネタを披露しているシーンでまるで笑えないのだ。友人にそのことを話すと、やはり、確かにお笑い漫画のお笑いシーンは面白くないという答えが返ってきた。何故だろうか。
 私がまず思ったのが、情報量の問題だ。漫画に比べ、テレビで見る芸人は動きや表情の変化、口調など、より多くの情報を発している。その差が笑えるかどうかを分けているのではないか。

 この説でおおむね納得していた時、反例を思いついた。爆笑問題の本だ。あれは基本的に活字のみで構成されていて、漫画よりさらに細かい情報量は少ないのに、読んでいて笑ってしまう。一方で、落語ドラマの『タイガー&ドラゴン』は実写であるから画面の情報量はお笑い番組と同じであるはずなのに、高座のシーンでは笑えなかった。二つの例から、動きや表情の変化、口調などは笑いの必要条件でも十分条件でもないということになる。そこで思いついたのがメタ構造を意識すると笑えない、という説だ。お笑い漫画やドラマの場合、ネタを披露している芸人の人生が描かれるため、ネタを披露している最中も、そのキャラが「演じている」ということを意識してしまう。それに対し、現実の芸人がネタを披露しているところを見る時は、芸人と演じているキャラを同一視して見るので、素直に笑うことができるというわけだ。

 上記の三作品はメタ構造が単純な笑いを殺してしまうという構造に自覚的で、人間の感情や業界の薀蓄の面白さで勝負しているため、どれも作品全体としては面白くなっている。だが、メタ構造というのは作中作が登場する場合だけではなく、例えば他作品のパロディが登場するような場合にも、読者に意識される。最近のおたく系ギャグ漫画は、しばしばパロディギャグを多用していて、実際それらは面白いが、作品全体としてみると、作品への没入感をそいでいて、笑いという点ではマイナスなのではないだろうか。



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