終わりなき日常を描け――GOTH感想





 『GOTH リストカット事件』(乙一著、角川書店)は殺人事件の容疑者の本棚に並んでいたらしい。確かに、本作は殺人衝動を持つ人を実際の犯行へと誘う要素を持っている。
 一つ目は、『小生物語』で乙一さんが自ら指摘されているように、痛みを描いていないということ。二つ目は被害者の細部が書き込まれていないこと。そして三つ目に犯罪をスリリングな非日常として書いていることが挙げられる。この内、一つ目と二つ目は「犯罪者側の視点から犯罪を描いている」とまとめることができる。猟奇殺人の犯罪者は、被害者の細部も痛みも感じられないからだ。この二点は、『GOTH』の特徴であるが、三点目はミステリー全般に見られる傾向である。本稿ではその問題点を指摘したい。
 宮台真司さんが「終わりなき日常を生きろ」とおっしゃっていたように、現代の先進国においては、だらだらと続くつまらない日常を生きることが大きな課題となっている。そのため、多くの人が非日常を希求しており、犯罪は非日常的な行為である。犯罪の正確な動機なんて誰にも分からないので正確なことは言えないが、マスコミ報道を信じるなら、日常がつまらないという理由で犯罪を犯す人がいるらしい。
 一方、エンターテイメント小説、さらに言うならあらゆるエンターテイメント作品は面白くしなくてはならない。犯罪は非日常的行為であるから、多くのエンターテイメント作品が犯罪を取り上げることは当然だ。特に、猟奇殺人のようなテーマはとりわけ非日常的なので、人気が高い。その結果、我々の脳内には「犯罪=非日常=面白い」という刷り込みが施される。しかしながら、この等式は物事の半分しか伝えていない。確かに犯罪の瞬間は非日常だが、犯罪の後にやってくるのは、非日常を経験したが故に、より凡庸に感じられる日常がだらだらと続くのである。例え、繰り返し犯罪を犯し、犯行が発覚しなかったとしても、今度は犯罪そのものが日常と化し、非日常は益々遠ざかっていく。にも関わらず、犯罪後の耐え難い日常を描いた作品があまりに少なすぎる。『GOTH』においても一度犯罪を犯したことによって、犯行を繰り返す欲求を抑え難くなる様は書かれているが、読者がひしひしとつまらなさを感じられるほどではない。また、犯罪を犯してから警察に逮捕された後のことを連続的に描いた作品は、乙一さんの小説に限らず殆ど無い。
 これは、エンターテイメントとしては当たり前である。真につまらない日常を描いて読者にひしひしとつまらなさを感じさせ、なおかつ面白いということは殆ど不可能だからだ。しかし、この結果、犯罪の面白い所だけを切り取った作品が氾濫し、犯罪を犯すことで日常から脱却できるという誤解が読者に刷り込まれている。結果として、読者が犯罪を犯すリスクを抱えることになる。
 それでは、作品の犯罪誘発性を低く抑えるにはどうしたら良いのだろうか。一つは犯罪を扱わないこと。二つ目は乙一さんがあとがきでおっしゃっているように「怪物と怪物の頂上決戦。妖怪大激突。そして恋愛要素あり。といった能天気な小説」として読めるようにリアリティーを下げること。三つ目は犯罪は良くないことだと感じさせるように書くこと。そして最後の道が非日常もいつかは日常に呑み込まれることを書くことだ。最後の道はひどく困難だが、全く不可能ではないと思う。例えば、乙一さんの「失われた物語」は重い障がいという非日常が日常へと転化する様を鮮やかに描いている。犯罪においても誰かが書いてくれることを希望する。



トップページに戻る