ポイポイポイの会話は素晴らしい!
『ポイポイポイ』(桑島由一著、集英社スーパーダッシュ文庫)の会話は素晴らしい。どう素晴らしいのかを以下に述べる。
普通の小説における会話は何らかの情報を読者に伝達する役割を担う。最も分かりやすいのが説明台詞だ。『ポイポイポイ』から引用すると例えばこんなものだ。
「説明させていただきます! 金魚すくい大会はこの町の名物で、十五年もの歴史を持っています!(以下略)」
ここまであからさまでなくても、小説の会話には、読者にとっての新情報が含まれていることが多い。
また、会話にはストーリーを進めるという役割もある。会話によって登場人物が何がしかの行動を起こすきっかけになる場合だ。ネタばれになるので引用はしないが、本作130頁からの会話はストーリーを大きく進展させる役割を担っている。
では、以下の寅次と桜の会話はどういう役割を担っているだろう。(地の文を除いて会話のみを引用)
「キャプテンサクラー、ここの空気は地球と同じみたいですー、呼吸できますー」
「最初から地球なんですけど」
「知ってるよ。冗談だろ、冗談」
「笑えない冗談ってなんて言うか知ってる?」
「なんて言うの?」
「あ、三国志」
「やべ、読んじゃったよ。読ませるなー、三国志」
「ねえねえ、そんなに横山光輝の三国志好き?」
「好き。超好き。だって全六十巻あるんだよ。寝る暇ないよね」
「でもキャラの顔全部一緒じゃね?」
「なに言ってんの、全然違うじゃん。根底から違うじゃん。だから教養のない男って嫌い。見習ってよ、孔明」
「孔明って誰?」
「神」
何てくだらない会話だろう。
あえて言うならば、会話をしている二人の関係性という情報を読者に示しているとは言える。また、全六十巻の三国志が終わらない日常を象徴しているのだとも言える。(木更津キャッツアイに登場する漫画に関して大塚英志氏が同様の指摘をしている。)しかしながら、この部分の会話がなくても、小説として何ら支障はない。従って、役割が希薄で、意味の薄い会話だと言える。であるが故に、この会話は素晴らしい。
何故か。現実における友達との会話を思い出してほしい。もちろん、別の友達のだれそれがどうしたといった情報を伝える会話もあるだろう。今度どこそこに遊びに行こうぜ、といった事態を進展させる会話もあるだろう。しかし、主に話していることは、どうでもよいことではないだろうか。少なくとも私はそうだ。どうでも良い会話こそが楽しい会話だといっても良い。何故なら、情報を伝達するための会話をする相手とは、情報を知るために一緒にいるのに対し、くだらない会話をする相手とは、相手と会話をするのが楽しいから一緒にいるからだ。本作の会話が素晴らしい第二の理由がそれだ。
そう、ポイポイポイの会話はどうでもよいだけでなく楽しいのだ。楽しいことに理由などなく、楽しいから楽しいのだが、上記の会話であえて解説してみる。
普通の小説の会話の場合、「なんて言うの?」の後に、「どうでも良いでしょ」みたいな言い訳が入るところだが、それをすっ飛ばすことで、桜が寅次を(表向き)ぞんざいに扱っている様が良く出ているし、会話がスピーディーになっている。(「孔明って誰?」「神」の箇所も同様の効果を上げている。)普通の小説の会話は、理路整然とワンテーマに関して互いの意見を述べることが多いが、現実の会話では、上記の会話のように、脈絡なく話題が飛んだりするものである。そういう意味で、本作の会話は極めてリアルだ。そこが『ポイポイポイ』の会話が素晴らしい第三の理由だ。
『ポイポイポイ』には会話以外にもいくつか素晴らしい点がある。父親との関係を逃げずに書いたところとか、キャラクター配置の無駄のなさとか。そんな中、特に印象深かったのが装丁の素晴らしさだ。私は装丁の素晴らしさについて評論する言葉を持たないので、素晴らしいと感じたとしか言えないのだが。
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