メディア特性の違い――るろうに剣心伝説の最期編感想


(本稿は『るろうに剣心伝説の最期編』のネタバレを含みます。)

 るろうに剣心伝説の最期編(大友啓史監督)を見て感じたのが、漫画と映画のメディア特性の違いだ。それは特にバトルシーンにおいて顕著だ。端的に言うと、漫画のバトルはターン制バトルなのに対し、映画はリアルタイムバトルなのだ。
 例えば、剣心対宗次郎戦。和月伸宏氏の原作漫画においては「宗次郎が縮地の一歩手前で攻撃」→「だが感情の動きがあるので剣心が先読みして見切る」といった因果関係の連鎖として描かれる。一方、観客が立ち止まって文字情報を自分の中で消化できない映画では、因果関係の説明に適さない。代わりに映画で強調されるのが圧倒的な速さの剣戟だ。リアリティを伴った超速の斬り合いを見るためだけでも、この映画を見る価値はある。

 もう一つ違いを感じたのがキャラクターの数だ。十本刀を始め、原作の京都編にはやたら沢山のキャラクターが登場し、作者も「いま思うと十本刀は多すぎたのか」と書いている程だが、映画においてはより多すぎた。漫画の場合、初登場時の絵の下に名前を書いておけば、誰だっけとなってもページを戻って確認すれば良いが、映画の場合はそのキャラクターを印象づけるようなエピソードを挟み込まないと観客が覚えていられない。映画において最適な主要キャラは五人くらいではないだろうか。
 映画を見ると、京都編における蒼紫はストーリー上全く不要なキャラであることが分かる。映画としての完成度を考えるなら切ってしまった方が良いのだが、人気キャラクターだし小太刀二刀流の剣戟は斬新で映像的に見応えがあったので、登場させたのだろう。割を食っていたのが十本刀で、私が好きな宇水など一撃でやられてしまってがっかりである。ティンベーとローチンによるバトルなんてほとんど誰も見たことがないので、斉藤と打ち合えば面白い映像になったと思うのだが、殺陣が難しかったのかなあ。

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東雲製作所評論部(感想過去ログ)