豪華な墓石の是非について考えるよりも――最後の夏に見上げた空は 感想
豪華な墓石を建てるより生きてるほうが素晴らしいと訴える歌があった。ある時、ふと疑問に思った。人は誰もがそのうち死んでしまう。どんなに立派なものを後世に残しても、死んでしまったらその人の生はつまらないものになってしまうのだろうか。それはひどく残酷なことではないのか。
『最後の夏に見上げた空は』(住本優著、電撃文庫)は生と死の物語だ。激しい戦争が終わった後の世界。主人公小谷順子とその同級生達は、「遺伝子強化兵」として生まれ、能力の代償として十七歳の夏に死んでしまう。物語は「最後の夏」の一年前から始まる。小谷は十六歳でいったん全ての記憶を失い、教師の名門に引き取られる。そして二人の生活が始まる。
物語は二人の生活や学校での出来事を、心の動きを丁寧に追っていく。不器用な彼らは何度も間違い、すれ違い、それでも最後の最後に気付く。恋とはどういうものなのかに。何のために生きているのかに。そして何が一番大切なのかに。
最初の問いに戻ろう。豪華な墓石を建てるより生きてる方が素晴らしい、とは死者が風化してしまうことを言っているのではない。自分が死んだ後どのように扱われるかなんてどうでもよい。そんなことを考えている場合ではない。それよりも今だ。そう今だ。自分のことをメタ化している場合ではない。今何が出来るのか、間違っても、間違っても必死に考え、全力で走り抜けている時には、周りを見ている余裕などないはずだから。
最後の夏に見上げた空は、立ち止まった時に見上げれば良いのだから。
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