単純化に抗する意思――サクラダリセット感想




(サクラダリセットの抽象的ネタばれを含みます)
 全てのことは単純化する。
 例えば記憶。どんな大切な記憶だって、細かな部分は抜け落ちてしまう。『サクラダリセット CAT,GHOST and REVOLUTION SUNDAY』(河野裕著、角川スニーカー文庫)に登場する完全記憶能力者の浅井ケイでもない限り。
「浅井ケイは、その時の何もかもを覚えていた。日付、時間、天気、彼女の服の色、指先の形、僅かに傾けた首の角度――
 瞬きの回数だって思い出せるけれど、そんなことに特別な意味はない。」

この文を読めば、読者は、いかに自分が日々多くの情報を失ってしまっているかに気づくだろう。
 ならば、言葉にすれば単純化に抗することができるのか。これも難しい。
 例えば、201頁でケイは皆実にリセットする前の世界で起こったことを説明する。「それは言葉にすれば、とても短い情報だった。」完全記憶能力を持つケイですら、記憶を言葉に変換する際に、単純化せざるを得ない。
 どうすれば良いのか。

 サクラダリセットは超能力者達の物語だ。
 浅井ケイは記憶を保持する能力を有する。そして、ケイの能力と対立する二人の能力者が登場する。一人は「物を消す」能力を持つ村瀬陽香。もう一人が、「リセット」の一言で世界を三日分殺す能力を有する春埼美空だ。春埼はケイと一緒に事件を解決するパートナーだが、能力的には、明らかにケイと対立している。咲良田の能力は能力者の願望を反映したものなのだから、ケイと春埼は本質的に対立していることになる。
 ケイはかっての春埼のことを、「まるでたった一つの公式でできているように、徹底的にシンプルで、純粋で、理性的だった。」と評している。現在の春埼の行動原理もシンプルだ。ケイが望むことをする。春埼の行動原理は基本的にこれしかない。
 本質的にシンプルだからシンプルに行動している春埼に対し、村瀬は世界の複雑さを嫌悪するが故にシンプルなものを欲する。世界を手に入れるためのシンプルな象徴、マクガフィンを手に入れようとする。
 ケイが村瀬に伝えたこと。それは、シンプルでも、純粋でも、理性的でも、論理的でもなく、けれど確かに存在したことだ。

 ケイ自身、シンプルさを嫌っている訳ではない。以前に、村瀬と同じような反乱を起こしているし、「雨はあまり好きではない」が「窓の外から聞こえるシンプルな雨音だけが、少し心地よかった」と表明している。非通知君との透明な会話や野ノ尾との無意味な会話を好むケイのことだ。世界の複雑さなんかと対峙したくないに違いない。
 だが、ケイはリセット前の世界で人が死んでも、リセットしたから問題ないという津島に、「どこか、論理的ではない部分で納得できない。」と違和を表明する。この単純化に抗する意思こそが、ケイの本質であるように思う。それは同時に作家の本質でもある。
 シンプルな論理では扱いきれないこと。それこそが作家が小説で扱うことだ。

 デビュー作には作者の全てが詰まっているという。『サクラダリセット』は河野裕氏の「私は作家としてシンプルな論理では扱いきれないことを書いていく。」という宣言だ。



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