東雲文芸17――悪漢小説
悪魔のような男





 俺は本日百五十七本目の電話をかけた。
「あ〜、もしもし。俺だけど。」
「オレオレ詐欺お断り!」
電話が切れた。テレビではオレオレ詐欺がさも楽して儲かるみたいに喧伝しているが、実態はこんなもんだ。割の良いバイトがあるからと誘われて来て見れば、犯罪行為。しかも給料は歩合制。三日以内、すなわち今日中にカモを引っ掛けられなけりゃ、クビな上に全くのただ働きだ。俺は机を蹴り上げた。
「うるさいぞ! 新入り」
後ろで寝っ転がって漫画雑誌を読んでいた狐崎が罵声を飛ばした。奴は俺の上司だが、俺のことばっかり働かせて、自分は漫画を読んでいるかTVかネットを見ているか寝ているかと怠け放題だ。そのくせ、人のことを役立たずだの何だのとぐちぐち嫌味を言ってきやがる。文句があるんなら、自分で電話をかけて見やがれってんだ。
 俺はリストを指で押さえると、次の番号に電話した。
「あ〜、もしもし。俺だけど。」
「おお、その声は孝かい。」
「そうそう。俺、孝。あのさ。俺、交通事故起こしちゃってさ。相手がやばい筋の人みたいなんだ。じいちゃん十万円用意できないかな。」
「何じゃと。そりゃ大変じゃないか。銀行口座に振り込めば良いのかい。」
俺は思わずガッツポーズした。こんな所にカモが転がっていたとはな。
「ああ、そうなんだ。すぐに銀行に向かってくれ。銀行まではどのくらいかかる? 」
「そうじゃなあ。走っていくけえ、二十分もあれば。」
「分かった。二十分後にまたかけるよ。」
俺は電話を切った。
「やりましたよ。狐崎さん。」
俺が声をかけると狐崎は跳ね起きた。
「ようやくかよ。使えねえ新入りだな。」
耳をほじりながら靴を履く。
「今から現金を引き出しに行ってくるから、じじいの振込みが終わったら連絡しろ。ここまで来て逃したらただじゃおかねえからな。」
狐崎は出て行った。全く、これだけ働いて、俺の取り分は一万。残りは全部狐崎に行っちまう。やってられねえぜ。
 それはそうと、今はじいさんを騙すことに集中だ。俺は十分は経ったかと思って時計を見たが、五分しか経ってはいなかった。俺は煙草に火を点けた。一服して灰を灰皿に落とそうとしたが、手が震えていやがる。煙草を灰皿に押し当てて火を消すと立ち上がった。安さが売りのウィークリーマンションは、マンションのくせに四畳半で、エアコンもなくてくそ暑い。おまけに、万が一声が漏れると困るというんで窓は締め切りだ。扇風機はもわもわとした風を送ってくるだけだ。俺は立ち上がると、狭い室内を歩き回った。
 十八分経ったところで、俺は携帯のリダイアルボタンを押した。
「もしもし。俺だけど。」
「孝。そっちは大丈夫か。急いでるけえ、もうっちょっと待っとくれ。」
受話器の向こうからは荒い息遣いが聞こえる。
「それはそうと、示談金は十万で足りるのかい。」
俺は思わず身を乗り出した。
「それがなあ。相手が色々と難癖つけてきてさ。もうちょっと必要かも知れない。」
「そうか。いくら必要かい。遠慮することはない。百万でも一千万でも正直に言ってみなさい。」
俺は唾を飲み込んだ。
「一千万。」
「――分かった。だが、済まないが、じいちゃんは貯金が九百三十万円しかない。あとの七十万をどうしよう。サラ金に行けば貸してくれるかのう。」
「いいよ。残りは自分で何とかするから。九百三十万円だけ振り込んでくれれば良いから。」
「そうかい。済まないねえ。」
「じゃあ。今から言う番号に振り込んで。」
じいさんが番号をメモったのを確認し、電話を切る。携帯は汗でぐっしょり濡れていた。
 高揚感はすぐに冷め、悪寒が襲ってきた。俺の取り分は一割だから、九十三万。それは良い。俺はこの三日間必死で頑張った。当然の報いだ。だが、狐崎はどうだ。あんな人間のくずが濡れ手で粟で八百万も手に入れる。それに引き換え、あの人の良いじいさんは、こつこつ貯めてきた老後の蓄えが一瞬にしてぱあだ。俺は玄関の扉を蹴飛ばした。
 その時、携帯が鳴った。じいさんの番号からだ。
「それがのう。十万円以上はATMでは何回かに分けんと入金できないそうなんじゃ。どうしたら良いかのう。」
俺は目を見開いた。これはチャンスだ。俺は必死に頭を巡らせた。
「それじゃあさ。とりあえず十万円だけ振り込んでくれ。それから残りの金は紙袋か何かに詰めて、直接受け渡して欲しいんだけど。」
「それでええぞ。場所はわしとお前の中間辺りがええじゃろか。」
「そうだな。中央公園の噴水前でどうだい。」
「分かった。すぐ向かうけえ。」
電話が切れた。俺も出ようとして重大なことに気がついた。リダイヤルする。
「どうした孝。なんぞあったか。」
「それがさ。このままとんずらする気じゃないかと疑われてて、俺この場を離れられないんだわ。俺の代わりに友達に取りに行かせるから、そいつに渡してくれ。」
俺は自分の服装を説明すると、電話を切った。こうしてはいられない。狐崎が帰ってくる前に、九百二十万を回収して戻ってこなくてはならない。俺はアパートを出ると階段を駆け下りた。

 公園には既にじいさんが紙袋を抱えて待っていた。きょろきょろと辺りを不安げに見回していたが、俺の服に目を留めると、俺の顔をまじまじと見つめる。俺が肯くと、ほっと息を吐いた。
 想像していたより、ずっとかくしゃくとしたじいさんだった。こんな手口にひっかかるくらいだから、半分ぼけたようなじいさんかと思ったら、ジャケットをきちっと着こなし、老紳士といった風情だ。こんな奴が騙されるなんてな。俺は笑みをかみ殺した。
 じいさんは俺の服の袖を掴むとどうか頼みます、頼みます、と上下にぶんぶん振った。それから何の疑いも持たず、俺に紙袋を渡した。俺は、どうぞ孫をよろしくお願いしますと何度も頭を下げるじいさんに愛想笑いを浮かべながら、その場を去った。公園を出るなり携帯が鳴った。心臓が跳ねる。狐崎からだ。
「何しとんじゃわりゃあ。いつになったら振込みがあんねん! 」
罵声に内心舌を打つ。じいさん、十万円振り込むのを忘れやがったな。俺は必死に狐崎をなだめて電話を切ると、タクシーを呼び止める。じいさんが金を下ろした銀行へ向かう。狐崎はじいさんとかち合わないよう、隣町の銀行に向かったから、多少は余裕があるはずだ。待たせておいたタクシーに飛び乗って駅へ向かう。コインロッカーに紙袋を押し込むと、再びタクシーでアパート近くまで取って返す。階段を駆け上がる。扉を開けるとき、狐崎が向こうから自転車で帰ってくるのが見えた。危ねえ危ねえ。
 狐崎は入ってくるなり俺に、ぐずだののろまだの罵声を浴びせた。だが、俺はそれを余裕を持って受け流した。こんな小物に何を言われようが全く気にならない。むしろ笑いを堪えるのに必死だった。
 その時、携帯が鳴った。知らない番号からだ。俺は通話ボタンを押した。
「この詐欺師め!」
ものすごい大声だった。俺は思わず携帯を耳から遠ざけた。
「よくも九百万も騙し取ってくれたな。わしの虎の子の九百万を。お前は悪魔じゃ! 」
俺は慌てて通話ボタンを切った。だが、遅かった。狐崎が胡乱な目でこちらを睨んでいた。再び携帯が鳴り出す。狐崎は携帯を俺からひったくると、電話に出た。数十秒ほど話して電話を切る。携帯をポケットにしまうと、代わりにナイフを取り出した。
「九百万円はどこだ。」
俺は歯噛みした。せっかくあと一歩で大金が手に入るんだ。こんな奴におめおめと横取りされてたまるか。
 俺は狐崎に扇風機を投げつけると台所に走る。振り返った右手には包丁が握られていた。
 その後の記憶は曖昧だ。ただ、包丁が肉をえぐる嫌な感覚と、腹を刺された時の熱さだけを覚えている。

 「貴様、よくもわしの九百万を! 」
じいさんの大声で覚醒する。じいさんは倒れている俺に駆け寄ると、俺の袖口から何かを剥ぎ取った。
「まあまあ、おじいさん、落ち着いて。」
一緒に入ってきた警察官が、なだめる。現場の状況を確認すると、上司に携帯で指示を仰いでいる。救急車のサイレンが近づいてくるのを、俺は呆然と聞いていた。
 その時、じいさんがしゃがみこみ、俺の耳元へ囁いた。
「つまらんのう。壮絶な殺し合いが見れるかと思いきや、これじゃあ、二人とも助かってしまうわい。じゃが、傷害罪でじっくりと監獄で苦しめられるのも、また見ものじゃわい。」
じいさんはにっこり微笑むと、警察官の元へと戻って行った。

(08.11)

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