最近の東雲




ラッシュクラッシュ無責任



 出張先で、車を家の角にこすってしまった。熟考の末、逆にハンドルを切ってバックしたため、家の角を凹ませてしまった。家主が出てきて怒られた。奥さんにぶつけた人は初めてだと言われた。ひたすら頭を下げた。
 翌日の夜、現場責任者と上司と共に警察を呼んで現場検証をした。警察官に何故すぐに通報しないのかと怒られた。飲酒運転をごまかすために、翌日通報する人がいるのだと指摘され、謝る。家主さんにそんなに気を落とすなとはげましてもらい有難かった。
 という体験を経て思ったのは、完全に責任を取るということは不可能で、責任を取るという状態へ向けて漸近していくことしか出来ないということだ。今回の事故では、金銭的にはレンタカーの保険で家の修理代を賄い、レンタカーの保証金二万円は会社に負担してもらった。仮に私が二万円を会社に払えば金銭的には完全に責任を取ったことになる。しかしながら、感情的な問題は事故以前の状態に回復出来る訳ではないし、解決のために費やした関係者の時間を取り返すことは不可能だ。
 最近、イメージダウンによる被害が生じた場合、アマチュアでは責任を取れないという意見を目にしたのだが、特にことがイメージのような抽象的なものの場合、プロでも責任を取ることなど不可能である。むしろ、アマチュアは金銭的対価を得ていないため、金銭的に責任を問うことが出来ないと言うべきだ。だからどうだと言う訳ではないが。
 何にしても、責任は取る方も問う方も苦痛なので、出来れば避けたいものだが、事勿れ主義的に避けるのではなく、双方が相手を慮ることで乗り切りたいものです、などと今月は仏教説話風にお送りしました。
(05.3)


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