最近の東雲




   徹夜のあとで



 夜明け前の薄暗い道を歩いている。両側のシャッターは固く閉ざされていて、人の気配はない。コンパの後で寄ろうと思っていた古本屋も当然閉まっている。二年前まで通っていた大学のあるここまで来るのに180円かかる。往復360円を加えると新刊書店で買った方が安いので、ついでの時しか来ることの無い古本屋の前で立ち止まり、歩き出す。不意に結局自分は世の中の価値を損か得かでしか計れないのだという指摘が心臓の辺りから広がって、もやもやとわだかまり続ける。  駅前の通りに出ると、警笛が鳴り出した。乳酸の溜まった足を駆って駅へと急ぐ。何とか本日二本目の電車に乗り込むと、ずぶずぶとシートに腰を下ろした。
   眠る前には何時も色々なことを考えてしまう。それは私がやるべきこと、やらなくてはいけないことで、半覚醒状態の頭が中途半端に回りはじめて、こうなると中々寝付けない。  今朝の飲み会の三次会でもコートを被って横になっていたのに眠りに落ちることは出来なかった。何で眠ろうとしていたかと言うと、徹夜をした翌日は睡眠サイクルがずたずたになって何も出来ないからで、結局眠れずにもそもそと起き上がると、さっきまでハイテンションでしゃべっていた後輩が見事に眠りに落ちていて、結局私だけが眠れもせず、会話を楽しめもせず、ただ終電が無くなってしまったからそこに居たのだ。大学時代、私は決して二次会に出なかった。二次会に出たら三次会になって、今こうして電車に揺られている。
 駅を出て、薄明るい道を歩く。土曜日だというのに朝早くから出社する人達とすれ違う。こういう時、愉快な気持ちになればいいのにと思う。家に向かう坂道を降りる。あらゆることが思った瞬間に出来ればいいのにと思う。家に向かう坂道を登る。人の心の不思議が伝わるような小説を書けたらと願う。
 坂の上の我が家に辿り着いたのは六時。風呂を沸かして入り、床に就いたのは七時。またぐずぐずと眠りに就けないのかなと思った記憶を最後に眠りに落ちて、目が覚めたのは朝十時。うとうととまどろんで十一時。のっそりと立つ。パソコンの電源を入れる。今これを書いている。
(05.4)


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