最近の東雲
東×滝本対談を見てましきた
早稲田祭に行って来ました。目当ては「東浩紀×滝本竜彦 新時代を生きるために」。キャンパスは、とにかく人だらけ。特に、大隈重信像から先の会場へと向かう道は屋台が並んでいて、じりじりとしか前に進めない大混雑です。何とか開場(二時)の三十分前にたどり着いてパンフを見ると、一時から二時まで「早稲田祭だよ!ドクロちゃん」という企画をやっており、おかゆさん、千葉さん、水島さんが出演すると書いてあるではないですか。急いで大混雑の道を取って返したのですが、着いた時にはもう残り二十分で、外から覗くこともできないので、しょんぼりと戻って来ました。先に調べてから行くんだった。
講演会は五百人くらいの大教室で行われ、入場者は百人くらい。内女性は十分の一くらいでしたが、線の細い感じの男性が多かったです。
最初に東さんの講演があり、氏の従来の主張を分かりやすくまとめた、ためになる内容でした。現代は物語が語れない時代――作品の重要性を他人と共有できない時代=ポストモダンであるということを分析したのが「情報社会論」で、そんな時代に人はどうするかを書いたのが「動物化するポストモダン」、作家達はどうするかを論じているのが「動物化するポストモダン2」なのだそうです。後半では、コンテンツの中核としてキャラクターの力があるという話になり、キャラクターの世界は、二次創作の領域を持つ分、作者が構築した作品世界よりも広い。作品が作品として閉じていない、と分析。韓国にもやおい同人誌があるが、自国のものより圧倒的に日本の作品の二次創作が多いことを例に挙げ、そのような作品が作者のコントロール下にはない状態を誘発する構造を持つことが重要だということをおっしゃっていました。最後はおたくの世界が「作品内消費」――狭いコミュニティー内での「萌え」と「作品外消費」――共通インフラとしての「ネタ」に二層化しているというまとめでした。他にも、『ファウスト』には3号までは目次に影響力を持っていたが、奈須きのこさんが自分の考えるファウストの路線と違っていたので、『美少女ゲームの臨界点』を出したが、一冊のもうけがたったの百円で、増刷貧乏になった話や、ニフティーの過去ログに、本名でしたエヴァの最終回予想が残っているので探せばすぐ見つかるとか(私は見つけられなかった)いった話が面白かったです。全体的に、淀みないすらすらとした語り口が印象的でした。
次に滝本さんが講演を行ったのですが、淀みまくったとつとつとした語り口が印象的でした。「滝本竜彦の傾向と展望」という題だが、とくに展望はない。何故こんな困ったことになったのか・・・・・・ポストモダンのせいだ。小説を書いてもどうせどこかで読んだことがあるものになってしまい、物語に入れ込むことも無くなった。とネガティブな発言を繰り返し、会場はどよーんというゴシック文字が浮かんでいるかのような鬱々とした雰囲気になるが、滝本さんが間をたっぷり取って「空しい。」などとぽつりと言うと、笑いが起きるという不可思議な様相に。事態を打開するために、ジョギングやヨガをやったが、全然だめだった。しかし健康にはなり、通常一ヶ月はかかる風邪が一週間で直ったといった話をされたあと、いよいよ話すことが無くなり、講演の残り時間の五分間、皆で世界平和の為に祈ろう、という提案がなされ、皆が爆笑した所で第一部は終了となった。
十分間の休憩を挟んで第二部は二人のトークセッション。テーマは新時代を生きるために何が必要かなのですが、滝本さんの現状とその対策みたいな内容に。同棲している彼女と喧嘩して、手元にあったギターで家中の電化製品を破壊して五十万くらい吹っ飛んだが、外付けHDは残っていたので、エロ動画は無事だったとか、同じく彼女と喧嘩して、頭を冷やすために外出したが、携帯に「帰って来て!」という電話が入り、駆け戻ると、ガスコンロが全開で、その上でゴミとかが炎上していたとか、滝本さんが彼女との壮絶な話を披露すると、東さんがそういう自分の人生をネタにするようなことを言うのは問題の解決から目を背けていると真っ当なアドバイスを贈っていました。滝本さんは今の彼女とは、二年がかりで三、四通のファンレターが送られてきて、抗鬱剤を飲んでハイになっていた時に会ってつきあうことにしたそうで、現在は徐々に安定に向かっているそうです。
最後に質疑応答があり、東さんへの「文学はどういう方向へ進むべきか。滝本さんに示唆できることは?」という質問への答えが興味深かったです。小説は没入するメディアだが、ゲームはシステム上没入できず、「さめながら本気」である所に可能性があること、小説のような単線的メディアは、一つの物語しか入れられないため、解体されネタにして消費されるだけなので、それを避けるためにはエヴァンゲリオンのように二次創作的読みを含む必要があるという指摘で、考え込みました。
私自身は、単線的メディアでも、地道にリアリティなり思弁性なりを高める努力をしていけば、その内新たな地平に到達する可能性が残っていると思います。また、現代社会が多くの人に物語の価値が共有されない時代だとしても、少数の人にでも届けばそれだけで十分価値があるのではないかとも思いました。
講演会終了後、滝本さんにサインを頂いて帰りました。その後、桜坂×桜庭対談が行われている三省堂に向かったのですが、たどり着いたのは終了三十分前で、もうすぐサイン会ですというのでしょんぼりと帰ってきました。日時をずらしてくれれば良いのに。
(05.11)
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