最近の東雲
英語でコミュニケーション
一週間、ソフトウェア講習の補助をした。先生は親会社の人で、生徒は留学生だ。彼らは石油関連の研修生で、中東、東南アジアや南米、中国、カザフスタンなど地球のあらゆる場所から集まっている。講義は全て英語だ。私の仕事は彼らを見てまわって、質問があれば答えることだ。その時の会話は英語だ。
ところで、私は学生時代不得意科目が二つあり、それが英語と数学だった。英語は慢性的に赤点で、厳格にルールを適用されたら留年していた程だ。そんな私に英語が話せるわけがない!
ところが、意外と何とかなったのである。例えば、私が、
「Hear fault. Straight no! (ここは断層なので、両側の層がまっすぐつながっているのはおかしいですよ)」
と言ったら、ちゃんと通じたのだ。しかし、こうして文字に起こしてみると馬鹿丸出しだな。中学生でももうちょっとまともな英語を話すんじゃないか。だが、逆に言えば、馬鹿だと思われることを恐れなかれば、英語で自分の意志を相手に伝えることはそんなに難しくはないのだ。
一方、リスニングは難しい。知らない単語を沢山使われるとお手上げで、相手が何を言ってるのか分からないことは時々あった。だが、そのソフトウェアに関する何かを話していることは明白なので、ある程度の予想はつく。リスニングも、純粋な英語力よりは、相手が何に関して言っているのか推定する能力の方が重要なようだ。また、当たり前だが、質問された操作をどうやれば良いのか分からない時も苦慮した。つまり、英語で(最低限の)コミュニケーションをとるのに必要な能力というのは、英語そのものの能力より、普段使っているような能力なのだ。
その他に印象深かったのは、こんなに世界各地から集まった、年齢もバラバラ(二十代から四十代まで)な留学生の集団が、自分が学生の頃のクラスとそんなに変らなかったことだ。すごくフレンドリーな奴、真面目だけど要領の悪い奴、がんがん発言する優等生、全然やる気がなくてサボっている奴など、皆、ああ、こういう奴いたなあと思わせる奴等ばかりなのだ。
例えば、アラブ首長国連邦なんて言っても、油田が沢山あってターバンを巻いているくらいの漠然としたイメージしか無かったが、あのケタケタ笑う陽気なおじさんの母国かと思うと、俄然身近な感じがする。留学生受け入れは粋な事業だ。
(06.02)
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