最近の東雲

ハードディスクのクラッシュ



 テレビ番組の録画に使っていたハードディスクレコーダーのハードディスクが壊れた。修理から帰ってきたレコーダーには新品のハードディスクがついていた。つまり撮りためたデータはみんなパーである。ハルヒやARIAは途中までDVDに焼いていたからまだよいものの、いぬかみやシムーンやひぐらしや桜蘭やガーくんetcetcは全話がふっとんでしまった。何たる悲劇!
 同時期に、会社のパソコンもWindowsXPが立ち上がらなくなった。こちらはソフトの一部が壊れたのが原因のようで、KNOPPIXを使ったら中身が見えて、データが救出できた。だが、他のWindowsマシンにつないでも中身が見えなかったので、危うくこちらも全データを失うところであった。

 印刷物やビデオテープのように広い面積に順次記録していくアナログメディアの場合、データの一部が破損しても、他の部分は無事だし、データが危機に陥ったことが見た目から明らかなので、(紙がぼろぼろになったり、テープがべよんべよんになったり)データが完全に失われる前に対策がとりやすい。
 一方、ハードディスクはデータが一瞬で、突然、全て消えるのでデータの保持が容易ではない。そのため、バックアップを取るように様々な人が警告を発しているが、長期的視野で考えた場合、バックアップの効果も怪しい。なぜなら、バックアップを取るメディアたるDVDなども、デジタルデータで保存している以上、保管者の知らぬ間に全てが読めなくなっているリスクを孕んでいるからだ。
 そう考えると、誰も見なくなったドラマやアニメなんかは、気がついたら世界のどこにも残っていないという事態になりかねない。ドラマの「タイムトラベラー」が最終回しか残っていないといった話を聞くと、何ともいえない無残な印象を受け、メディア初期故の乱暴さだと思うが、例えば千年後に二十一世紀初頭のアニメがどれだけ残っているか考えると、はなはだ心もとない。

 しかし、そういった古い情報が失われるのは、本当に問題なのだろうか。私はいぬかみやシムーンやひぐらしや桜蘭やガーくんetcのデータを失ったが、リアルタイムで見切れなかった番組というのは、次々と新番組が放映されている以上、見きれないものである。昔の録画番組を見れば、新しい番組を見る時間が削られ、見られない番組の総量は変わらない。結局見ない情報を溜め込むことに何の意味があるのか。実際、私はハードディスクがすっからかんになったときに、がっかりした反面、ある種のすっきりした気持ちも味わっていた。現代人は余分なものを多く持ちすぎなのではないか。

 紙より長い歴史を持ち、しかもかなり優秀な記録メディアがある。そのメディアは情報の取捨選択機能等で他の追随を許さないが、バックアップが取れないという欠点がある。それが人間の脳だ。私たちがハードディスクにせっせとデータを溜め込んでいるのは、脳がいずれは壊れてしまうという事実に対するささやかな抵抗であり、かつその事実を忘れるための逃避行動なのだろう。



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