最近の東雲
高尾山に登った
先月、古橋秀之・秋山瑞人講演&サイン会に行ったと書いた。会場の法政大学は西東京の山奥にあり、交通費が馬鹿にならない。講演は午後からなので、午前中に近くの観光地に行こうと思い立ち、高尾山に登ることにした。
ミシュランが三ツ星をつけたからなのか、登山路は人だらけだった。そのうち半分が中高年、三割が家族連れ、15%が若者グループと、一人で登っている若者は殆どいない。
最初は軽快に上り始めたのだが、すぐに足が重くなる。体感斜度45度くらいある坂が延々と続き、疲れ果てる。展望台のある中腹まで行って引き返した。
ただし、眺望は西東京が一望でき、最高であった。
高尾山には頂上へと向かう三種類のルートがあり、「6号路」や「稲荷山コース」は楽しいのかも知れない。
しかしながら、私の上った1号路は、道そのものはアスファルトだし、途中の見晴らしもよくないし、道の両脇も近所の市民の森と変わらんし、とあまり面白くないくせに、やたら大変だった。懐に余裕がある方は、上りだけは片道470円のケーブルカーかエコーリフトを利用した方が賢明だと思う。
だが、そもそも人は何を求めて高尾山に登るのだろう。マロリー卿のように人類未踏の地を目指しているわけではない。一人になりたい人は人だらけの高尾山には登らないだろう。自然を観察したいのなら、近所の森に行けば良いし、眺望を楽しみたいなら都庁にでも行けばよい。私が思いついた理由は二つだ。
1)日常よりもあえて苦しい思いをすることで、マゾヒスティックな喜びを感じるため。
2)日常よりもあえて苦しい思いをすることで、苦しみから解放された時、相対的に喜びを感じるため。
私は1)については理解できないが、冬山に行く人などは、1)を求めているとしか思えない。一方、2)に関しては私も分からないではない。確かに中腹の展望台にたどりついた時は平素よりも多少幸福感を感じたからだ。
いずれにしても、苦しむことこそが登山の醍醐味なのだ。だとすると、高尾山に行ってケーブルカーに乗るのは本末転倒なのかもしれない。
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