最近の東雲



第七回文学フリマは格差社会の縮図だなどと主張する気はない



 今回はあまり書くことがない。ついに三十路に突入し、一人で「ハッピバースデートゥーミー」とギターを弾き語りし、ケーキに百円ショップから買ってきた仏壇用の蝋燭を三本立ててお祝いしたが何の感慨もわかなかったことなど書いてもしょうがないし、「杉井光といっしょ」はピカリン×イスナの質問が繰り返し出て、みんなそればっかりかよ、俺も聞いたけどな、という感じで楽しかったものの、他の人が詳しいレポを書いてしまったので、いまさら書いても屋上屋を重ねるだけである。というわけで、第七回文学フリマのレポを書くが、当日風邪気味だったため、十分くらいしか滞在しなかった。さらに着いた時にはカタログの配布が終了していたので、何の資料もない。しかも印象に残っているのは今回限りの『ゼロアカ道場』関連のことばかりである。従って、以下の文章を読んで、次回以降の文学フリマについて何らかの知見を得ようとする人は、全くの徒労となるだろうことをここに予言しておく。

 さて、今年の文学フリマはゼロアカ道場の審査が行われるということで注目を集めていたが、会場の様子も同様であった。ゼロアカ道場の挑戦者が二階の入り口付近にぴかぴかの同人誌の山を築いて人目を引いているのに対し、その他のブースは全般的に、午後の疲労も相まってか、どんよりとして見えた。殊に耳目を集めていたのは左側から二番目のブースの男性で、「東浩紀が唯一自分で購入した一冊です。残りあと僅かです。」といったようなことを多少涸れてはいるものの、まだまだ通る声でさかんに訴えかけていた。だが、それとは対照的に、隣の、特に口上が上手そうでもない腐女子に関する論考を扱った女性二人組がとっくに完売し、淡々と立っていたのが印象的だった。表紙を見た中では、新井素子氏など、複数の著名作家の未発表原稿を集めてきた本に激しく食指を動かされたが、しかしこの本を作るのに必要なのは編集者的能力で、評論家的能力は全く必要としないのではないかと思った(評論も載ってるのかも知れないが)。また、彼らを取り囲むように壁際にずらりと業界ゴロみたいな風体の人達が立って結果発表を待っており、通行の邪魔だった。
 結局、『とらドラ本!』(平和の温故知新)と『適当ライトノベル読本 創刊号001 特集――桜庭一樹『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』(ライトノベル積読会)のみを購入し、帰還した。

 『とらドラ本!』は平和氏の「作中ギャグ元ネタ解説」がかなりの力作であった。また、宇佐美氏の「30代の時代」が熱かったが、よく考えてみれば、宇佐美氏の年齢は中高生よりは三十代に近いだろうから、どちらかというと三十代好きの宇佐美氏の方が普通であり、良い年をして中高生のヒロインが好きな方が変なのではないだろうか。変だから悪いわけではないが。
 『適当ライトノベル読本』はni-to氏が「主人公の山田なぎさが”砂糖菓子”を許容する話としても読める」と、えるうぃ氏が「兄をひきこもりではなく別の、「貴族」などと表現すること。それは山田なぎさにとっての「砂糖菓子の弾丸」なのではないだろうか。」と鋭い読みを披露していて意表を突かれた。特にni-to氏の評論は、「お金=実弾」の元ネタを発掘するなど読み応えがある。ゆるゆるした文章をぴしっとさせればプロとして通用しそうだ。

(08.11)



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