最近の東雲



内田樹先生最終講義感想



 神戸女学院大学で行われた内田樹先生最終講義を拝聴した。『涼宮ハルヒの憂鬱』の舞台を何ヶ所か巡るべく、西宮北口から歩いていったら、えらく遠い上に、道は曲がりくねるは、恐るべき標高差が立ちはだかるはで、時間ぎりぎりに到着した時にはへろへろになってしまった。
 八百人入るという講堂は満員で通路で立っていたら、先生と思しき方が席を譲って下さった。さすが愛神愛隣の精神に満ちていると感心する。どうも有難うございました。

 紹介に続いて、内田先生が登場。最終講義は愛神愛隣、リベラルアーツ、ヴォーリズの三本柱ということだったが、枕の神戸女学院大学での教育の話が長く、愛神愛隣はほとんどが時間切れとなった。だが、「神戸女学院大学に来て、ルールを学ばせる教育ではない、これから行うことを支援する教育を知った。」という枕の話は、愛神愛隣とも関係しているので、予定通りとも言える。

 全体的に、知的に興奮した一時間だったが、中でもヴォーリズの話が面白かった。ヴォーリズとは、神戸女学院大学の他にも、同志社大学や山の上ホテルなど、日本で数多くの洋館を建てた建築家で、近江兄弟社の創設者である。内田先生は、以前、シンクタンクのなんたら総研の人に、耐用年数の過ぎたヴォーリズ設計の校舎など、維持費がかかるばかりで、一文の値打ちもないと言われて憤慨し、本格的にヴォーリズの建築の価値について考え始めたのだという。その結果、分かった価値が、次の三点だ。
1)声の響きが良い。これは、考えがまとまっていることを滔々と述べるような時にはさして重要ではないが、その場で生成する言葉を口に出す際には決定的に重要である。
2)室内が暗い。そこから明るい屋外へ出ると、産道から生まれ出たような感覚になる。
3)隠し通路や隠し部屋が多い。その隠しなんたらの先は、必ず他のどこからも観ることのできないような思いがけない美しい風景が見える窓か出口につながっている。

 この話を聞いて、思い出したのが、アニメ版ARIAのあるシーンだ。それは、暗い秘密の水路をゴンドラで進んでいってぱあっと光り射す広場に出るシーンで、見ていてはらはらと落涙したのだが、何であんなに感動したのかが分かった。
 また、小説との関連についても考えさせられた。1)の話は、小説をプロットを組んで論理的に書くか、思いつくままに書くかという方法論に通じるし、3)は、小説では隠された解釈に相当する。2)の手法は雪国の冒頭のように小説でも使えないことはないが、映像に比べて印象が薄くなるのは否めず、ましてや、身体性を伴なう建築にはとても敵わない。建築家が羨ましい。

 講義の中に、京都大学経済学部の学生が、「文学部に存在する意味があるのか」という質問をしたという話があった。何て賢しらげで失礼な学生だと思ったが、これを読むと、誰もが感じるであろう疑問について素直に質問したように見える。
 何たら総研の人の発言が、ヴォーリズ研究につながったように、内田先生の思索の深化のためには、腹立たしいことを言う人が必要なのかもしれない。

PS.内田樹先生最終講義に関しては、さとなお氏の感想が素晴らしい。

(11.02)



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