小説の自由 感想





 保坂和志さんの論考「小説の自由(新潮社)」を読んでいて、何度も「まじかよ! 」と思った。例えばこんな個所だ。
 

 言葉遣いやセンテンスの長短やテンポは、いったん書き上げた段階でいくらでも直すことができるけれど、文章に込められた要素――つまり情景に込められた要素――はそういうわけにはいかない。小説にはいったん書き上げたあとに修正可能な要素と不可能な要素があり、修正不可能な要素が小説世界を作る、というか作者の意図をこえて小説をどこかに連れていく。

 小説を書くというのは本当に面倒くさい作業で、読者の側はいちいち気にしていない距離や方向を――全部とまでは言わないが――一通りは気にかけて書いていかなければならない。(中略)
 ここで注意してほしいのは、顔の色を「蒼白に」と書くか「白く」と書くか「青白く」と書くかという、単語レベルの選択は重要ではないということだ。

 事実/虚構、本当/嘘、という単純な二分法をこえたところで、事実であったとしても虚構であったとしても「記憶するに値する」「忘れることができない」「信じざるをえない」というのが、歴史書、旅行記、伝記などと小説を分けるフィクションのことだ。

 私が小説家であることを知ると、純朴な人たちは「自分が考えていることを人に伝わるように書くって難しいですよね」と言うのだけれど、自分が考えていることがすでに形となっているのなら書くことはたいして難しくない。
 そうではなくて、「自分が考えようとしていることが、どういうことなのか自分自身でもよくわかっていない」ことを書くから、書くことは難しい。


 まじかよ! と思うが噛みしめるように読んでいるとまじだということが附に落ちる。保坂さんの思考は徹底的に保坂さんにとって真実(まじ)であることに慎重だ。決して思考を既存の言説に落とし込んで決着を図ろうとはしない。だから、私には想いもよらなかった視点や思考が提示され、それが抜群に面白い。
 最近、私がファンタジーノベル大賞に出していた小説の落選が決まり、文章精度が原因かなと思っていたのだが、本書を読んでもっと根本的原因に気付かされた。私の小説の舞台がたしかに存在しているという感じが足りなかったのだ。
 本書のエッセンスを手っ取り速く学ぶには、章末に箇条書きのまとめがついていると有難い。だがそんなものはついていない。何故か。それでは伝わらないものがあるのだろう。と考えていて、思考の態度が少し保坂さん寄りになっていることに気がついた。読んで感化されること。これは360頁をじっくり読まないと起こらないことだ。

 小説の最もスリリングな部分について考えたいと思っている人は必読。



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