視点は統一しなくてはならないか
小説の書き方の本にはたいてい基本的な約束事として「(少なくとも一つのシーンでは)視点を統一せよ」と書いてある。知らない人のために説明すると、こういうことだ。
駄目な例
信長はアントワネットを見て感嘆した。何と派手さだ。これぞ私が求めていた服だ。
「その服をわしに譲るのじゃ。」
信長が命じるとアントワネットは憤慨した。どうしてこの男はフランス王妃たる私より偉そうにしているのかしら。そこで胸を張って言い返した。
「ドレスが無ければ着物を着れば良いのに。」
この例では前半が信長の視点で、後半がアントワネットの視点で書かれている。こういうことをやると、読者の立ち位置が落ち着かず、小説にのめり込めないため、避けるべきだ、とされている。
念のため信長の視点で統一した良い例も書いておこう(内容は良くないが)
信長はアントワネットを見て感嘆した。何と派手さだ。これぞ私が求めていた服だ。
「その服をわしに譲るのじゃ。」
信長が命じるとアントワネットは何やら気分を害したようだった。えらそうに胸を反らすと言い返してきた。
「ドレスが無ければ着物を着れば良いのに。」
確かにこの例では視点を統一した方が良いだろう。しかし、小説を書いていると、たまに、途中で視点を入れ替えたいな、ということがある。例えばこんな場合だ。
アントワネットは忙しなく本能寺の廊下を歩き回っていた。国に残してきた王子のことを考えると、いますぐ飛んで戻りたい思いだ。だが――
荒々しく障子を開けて信長が駆け込んできた。
「アントワネット殿。お逃げください。このホンノウテンプルはミツヒデ=アケチの軍に囲まれておりますぞ。」
アントワネットは息を呑み、それからきっと顔を上げた。
「いいえ、私は敵に後ろは見せません。それが私のフランス王妃としての誇りです。」
障子から炎が上がる。炎がアントワネットの亜麻色の髪を赤々と照らした。信長は息を呑んだ。
ラストで視点がアントワネットから信長に移っているので、視点が統一されていない。映画や漫画だったら、絶対最後にアントワネットの絵が入るはずであり、小説でもそうしたいのだが、そうすると、視点統一のルールに引っかかるのである。まあ、信長が思ったことが書いてないから、ぎりぎりセーフなのかも知れないが。
何にしても、小説を書く上でのルールというものを厳密に守ると、小説の可能性を狭めることになるのではないか、と感じた。
トップページに戻る