小説の誕生 感想



 『小説の誕生』(保坂和志著、新潮社)は『小説の自由』の続編だが、たいへん面白く、かつためになった前作に対し、本作は何だか良く分からなかった。だが、よく分からないからと言って、悪くなった訳ではない。むしろ逆で、作者の思考はますます哲学的深みに達している。作者は追悼記事で小島信夫さんのことを「こんこんと湧き出る泉のような不明瞭」と評していたが、本書にも同様のすごみがある。
 作者は本書で主に「人間は自分の死をこえて、生きつづけることができるのか?」を考えている。私はこの問いから『ハチミツとクローバー』を連想した。私はアニメ版しか見ていないのだが、ヒロインはぐに片思いする竹本は「実らなかった恋に意味はあるのか?」という問いを立てる。一人盛岡に旅立つ日、列車の中で竹本は意味があったと実感するのだが、このシーンは非常に印象的だ。何故なら、見ている自分も確かに意味があった、と附に落ちたからだ。
 「実らなかった恋に意味はあるのか?」という問いは「人間は自分の死をこえて、生きつづけることができるのか?」という問いと本質的には同じである。どちらも「自分が今想っていることは普遍的か」という問いだからだ。私が時々考えるのは、恐竜やアンモナイトの生に意味はあったのか、ということだ。それは現代の生物に影響が残っているかといった意味ではない。かって確かに生きていたということ自体が、そのことを誰も知らなくなっても重さを有しているのではないかと思うのだ。思うというより願っているのかもしれない。何故なら自分はいつか死んでしまうし、ヒトもいずれは滅びるだろうから、そうした時に、自分が生きていたことが完全なる無価値になってしまうということは耐え難いからだ。
 だから、人間は真実ではなく、生きた意味があったというフィクションが必要なのだ、というときれいなまとめ過ぎるかもしれない。もっとこんこんと湧き出る泉のような不明瞭さで考え続けなくてはならない。



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