自意識が邪魔をする――テンプレート式 超ショート小説の書き方感想
小説の書き方本は山ほど出ているが、『テンプレート式 超ショート小説の書き方』(高橋フミアキ著、総合科学出版)程簡単で身も蓋もない本は他にない。何しろ、九種類の小説のテンプレートが示されており、読者はそこに穴埋めしていくだけで小説が書けるというのだ。挙げられている生徒の作例にはなんじゃこりゃというようなものも多いが、中には『汚いキャベツ』のように唸らされる佳作も含まれている。しかし、テンプレートそのままに書いて、それで本当に自分の作品と言えるのだろうか。
興味深いのが、テンプレートを作っても守らない人がいるという指摘だ。
「最初は、型を覚える必要がありますので、自分流に変えないことです。
最初から崩してしまう人がいます。崩しても、ちゃんとそこに葛藤が入っているのならいいのですが、葛藤の"か"の字もありません。」
恐らく、自分流に変えた生徒は、小説には自分の独自性を表現したいという意識が強かったのだろう。だがその自意識が小説の出来を悪くしたのだ。
本書では他にも自意識が小説の価値を損ねている例があった。「対立のテンプレート」の作例で顕著なのだが、二つの主張が対立し、明らかに作者の考えなんだろうな、という方が一方的に勝つと、読んでいて鼻白むのだ。小説で対立した両者のどちらが勝つかなんて作者のさじ加減一つでどうとでもなる。そこで作者が自分と同じ意見の側をあからさまに贔屓していると、アンフェアな印象を受けるのだ。
私も自意識が強い方がだが、それが小説の出来を損ねているのではないか。反省した私はテンプレート通りに書いてみることにした。
葛藤・願望のテンプレート通りに書いたのが下記の超ショート小説だが、どうだろうか。
バンジージャンプ
本当なら逃げ出したい。しかし、それはできない。
なぜなら、私がバンジージャンプを飛ぶのを番組スタッフが待っているからだ。
時間は刻々とすぎていく、私はどうすればいいんだ。
もし私が飛ばなければ、ロケはお蔵入りになりもう二度と番組には呼ばれないだろう。
周囲が騒ぎはじめた。
スタッフが機材の撤収を始めている。このままでは私の芸人生命が危ない。
私は決めた。苦節十年。やっと掴んだテレビ出演のチャンス。こんな所で終わってたまるか。
私は飛んだ。失禁しそうになりながら宙を舞い、地上に降り立った私に、ディレクターが駆け寄ってきた。
「あー。カメラ片付けた後だったから、もう一回飛んでくれる? 」
甲子園
私はどうしても甲子園のマウンドに立ちたいと思った。
たしかに、障害がある。
一つは私が野球の経験がないということだ。
二つは私が女だということだ。
三つは私が百歳だということだ。
しかし、私は決して、決して、あきらめない。
やるだけのことはやってみよう。
私は孫を相手にキャッチボールを始めた。毎日一時間のウォーキングを自らに課し、節制に務めた。
結果はこうだ。
私は長寿日本一を達成。記念に甲子園で始球式をすることができた。
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