大賢は愚に似たり――時をかける少女とDETH NOTE



 『DETH NOTE』の感想として、こんなことを書いている人がいた。
「のび太は馬鹿だなあと思っていた。あれだけの秘密道具があれば世界征服だってできるのに。『DETH NOTE』は賢いのび太(=月)の話だ。」
 なぜこのことを思い出したかというと、『時をかける少女』(細田守監督)の感想として乙一さんが、「すばらしすぎる、ヒロインのかたち。アニメ史にのこる、わらいごえ。「わーん(泣)!」という【のび太泣き】。」と書いていて、確かにヒロイン真琴がのび太みたいだったからだ。何しろ、真琴ときたら、折角手に入れたタイムトラベル能力を、妹に食われてしまったプリンを食うためといった、くだらないことにばかり使うのだ。上手く使えばすぐに億万長者になれるし、世界征服だってできるかもしれないのに。
 だが、馬鹿なのび太や真琴が幸せな未来を手に入れたのに対し、賢いはずの月は幸せにはなれなかった。何故か。それはのび太や真琴が世界征服なんかより、日々を楽しく生きることの方がずっと幸せなことに気付いているからだ。
 いや、単に馬鹿だからすごい力の上手い使い方を思いつかないだけだ、と言う人もいるかもしれない。だが、少なくとも彼らは日常のささやかな喜びに満足すること――足るを知っている。その点だけとっても、月なんかよりずっと賢いではないか。
 私は今まで「大賢は愚に似たり」という言葉の意味が分からなかったのだが、きっとこういうことを言っているのではないだろうか。



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