小説は変化!――とらドラ・スピンオフ2! 虎、肥ゆる秋 感想
『とらドラ・スピンオフ2! 虎、肥ゆる秋』(竹宮ゆゆこ著、電撃文庫)は番外編短編集なのだが、かなり重量感のある内容だ。特に、「春になったら群馬に行こう!」は、百頁程の短編なのに、長編一本くらいの中身がある。これを読んで、私は小説の面白さは「変化」だと思った。
小説の面白さは大きく分けて、二つある。「小説ならではの面白さ」と「小説ならではではない面白さ」だ。「小説ならではの面白さ」とは文章の面白さのことだ。しかし、「小説ならではの面白さ」で魅せるのは、他のジャンル、たとえば「アニメならではの面白さ」で魅せるのに比べて格段に難しい。アニメが「絵」「動き」「演技」「音楽」など、様々な要素を組み合わせて魅せられるのに対し(新房監督の演出のように)、小説では使えるのが「文章」しかないからだ。結果的に、小説の面白さにおいては、「小説ならではではない面白さ」の占める比重が大きいことになる。
さて、「小説ならではではない面白さ」とは、要は設定とかストーリーとかキャラクターといった、メディアミックスしても面白さの変わらない部分のことを指す。「小説ならではではない面白さ」は「初期状態(=設定)の面白さ」と「変化の面白さ」に分けられる。「初期状態の面白さ」は一通り情報を出し終えればおしまいなので、「小説ならではではない面白さ」の大部分は「変化の面白さ」が占めていると言ってよい。特に、「キャラクターの内面の変化」、及び「キャラクターの関係性の変化」はあらゆるフィクションで作品の核となっている。
もちろん、『水戸黄門』のように、主要キャラクターの関係が変化しない作品もある。しかし、そういう場合でも、水戸黄門の登場前後で、悪代官と領民の関係は変化している。そんな中、『ラノベ部』は、大胆に「変化」を減らした実験的な作品だ。これは、超短編にすることで、「初期状態の面白さ」の比重を極限まで高めた結果だが、それでも、ささやかだが印象的な変化が描かれている。
話をとらドラ!に戻そう。『とらドラ・スピンオフ2!』の私的面白さは
「春になったら群馬に行こう!」>「先生のお気に入り」>その他の三作品
という順になっているのだが、この差は変化量の差ではないかと思う。「春になったら群馬に行こう!」において、主人公の春田は大きく成長する。そして、それ以上に、春田と瀬奈の関係の変化が素晴らしいリアリティをもって書き込まれている。自分の心が自分の思うままにならなくてしんどい様を書かせたら、ほんと竹宮氏は天下一品なのだが、その読んでいて胃が痛くなるような葛藤を乗り越えて春田と瀬奈の関係が変化することで、読者は大きなカタルシスを得られる。
一方、「虎、肥ゆる秋」「THE END OF なつやすみ」「秋がきたから畑に行こう!」の三作品は、基本的に竜児と大河を描いた作品だ。時系列的には、本編の9巻時点では過去になる。従って、竜児や大河を短編内で大きく変えることはできないし、何より竜児と大河の関係が変えられない。これはものすごいハンデである。何しろ「小説の面白さ」の大部分を占める「小説ならではではない面白さ」の大部分を占める「変化」を使えないのだから。
そう考えるに待たれるのがとらドラ!の最終10巻である。最終巻では、何の制約もなく、思う存分、竜児と大河の関係を変えることができるからだ。どうか、来たる10巻に、素晴らしい変化があらんことを!
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