小説トリッパー2005SPRING感想


ライトノベル評論ブームが文芸誌にも! ということで、小説トリッパー春号の特集は「ポストライトノベルの時代へ」。巻頭対談を中心に感想を書きます。

*大塚英志×斎藤環対談 「ライトノベルをめぐる言説について」
滝本竜彦、佐藤友哉、舞城王太郎、西尾維新、清涼院流水、上遠野浩平 というのがこの対談で「ライトノベル作家」として挙げられた作家です。
 この対談に限ったことではないのですが、

 何故ライトノベルについて語るのにライトノベルレーベルの書き手に言及しないんだ!!


 例えば小説トリッパーでミステリー特集を組み、「ミステリーをめぐる言説について」という巻頭対談 であざの耕平と秋口ぎぐると桜庭一樹と雑破業と師走トオルと太田忠司のみに言及していたらあまりに不自然でしょう。
 大塚氏はライトノベル評論ブームに関して「バカげたブーム」と斬って捨てていますが、私はこのブームには二種類あると思います。
 一つは「ライトノベルは新しい文学の可能性である。」という主張で、「ファウスト」等で言われているもの。もう一つは「ライトノベルだからという理由で読まないのは止めようぜ。」という主張で、ライトノベル関連本や「ライトノベル・ファンパーティー」等の主張です。
 前者の主張に関して大塚氏が批判的なのは分かりますが、量的に考えて、「ライトノベル評論ブーム」の主流は明らかに後者です。で、その主張は大塚氏が「ザ・スニーカー」の特集でおっしゃっていた「だから、それが「文学」だろうが「ライトノベルズ」だろうが、どう呼ばれようが知ったことではない。」と同じ主旨なので大塚氏が「バカげたブーム」だと言うことは事実誤認だと思います。
 ここで、冒頭の疑問に戻るのですが、何故、大塚氏は綿谷りさや高見広春や清涼院流水や舞城王太郎や佐藤友哉やあさのあつこには言及するのに、ライトノベルレーベルのみで書いている作家には(吉田直にわずかに言及したのを除いて)全く触れようとしないのですか。
 大塚氏は「固有名詞を出さなかったら言及されていないと思うこと自体が、あまりにさもしい考え方」であると反論されています。しかしながら、氏は「かって彼(江藤淳氏:筆者注)が福田章二をつぶしに行き、あるいは村上龍をつぶしに行って、それが結果として庄司薫やいまの村上龍を育んでいく。その彼の文学的な営みを文芸批評の人たちが継承しないのであれば、僕がやりましょうということですね。」ともおっしゃっている。ならば、やはり個々のライトノベル作家に関して固有名詞を出してつぶしに行かなくては駄目なのではないでしょうか。
 氏は「ザ・スニーカー」の特集で、「小さな世界にとどまって傷をなめあうような小説と、否応なく、小さな世界の外に出ざるをえなくなって、そこから読者に何かを語りかける小説があるとすれば、後者を選択する小説をぼくは支持する。」とおっしゃっています。
 ライトノベルに前者の様な小説が多いのは確かです。しかしながら、全てが前者の様な小説ではなく、例えば桜庭一樹氏の「推定少女」は明らかに後者の小説なのに何故十把ひとからげにライトノベルを文学的に否定し、「教養小説がない」なんてでたらめをおっしゃるのですか。
 「だから、それが「文学」だろうが「ライトノベルズ」だろうが、どう呼ばれようが知ったことではない。」という主張に私は全面的に賛成ですが、どう呼ばれるかに拘っているのはむしろ大塚さんの方ではないのですか。

 対談の論点に関しても簡単に触れておくと、「文学に批判は必要か」という問題に関しては、私は必要だという大塚氏の意見を支持します。一般的には小さな世界でぬくぬく生きるのは否定されませんが、クリエイターは作品を向上させねばならないので他者の意見が必要だと思うからです。
 「特殊な事例に関する態度」ではどちらかというと切り捨てるという斎藤氏の方を支持します。TV等で、「小学校に包丁男が乱入」みたいなレアケースばかりが取り上げられ、交通事故の様なより多くの死者が出ている問題が隠されてしまっていると思うからです。


*笠井潔 「社会領域の消失と「セカイ」の構造」
セカイ系に関する既存の言説をコンパクトにまとめた感じ。「闘う少女と無力な少年の純愛を描き続ける作品群は、日常がハルマゲドンでハルマゲドンが日常であるしかないセカイのリアルな反映なのだろう。」という結論には同感。「そうである」ことを描いたからといって「そうで良い」と言っている訳ではない。

*乙一 「ライトノベルと、ガラスのコップ」
「ライトノベルの未来は、きっと冲方丁先生がなんとかしてくれますよ。」に爆笑。 乙一さんの小説はファウスト系の作家とは違ってクラシカルな職人的近代文学作家だと思っていたので、「僕はエンジニアで、職人なんです。そこに誇りをもっています。」という発言には得心しました。

*冲方丁 「多文化主義からファクトリーへ」
対談の感想で書いたことだが、「いまライトノベルにもっとも足りないのは批判です。」という意見に激しく同意。あとはとりあえずスニーカー大賞に応募するのは止めようと思いました。題名くらい自分で決めたいです。

*中島梓 「幼年期は終わらない」
ライトノベルに関してボーイズラブ小説との比較で語るという、すごい評論。大抵の小説トリッパー読者にとっては、モンゴルに関してナウルとの比較で語られるようなものではあるまいか。だが、すこぶる面白い。ボーイズラブでは「1冊のなかで、必ず3回(それ以上でも以下でもいけないらしい)のHシーンがあること」が掟になっているとかいう話にも笑ったが、やはり「よき読者ではない」と言明し、その上で、「あえて」言ったりせず、率直な感想が綴られている所に好感を持ちました。「撲殺天使ドクロちゃん」を読み通せなかったと言いつつも、インパクトがあったことは認めている点など、懐が深いと思いました。

ライトノベル特集以外では、斉藤環氏のヤンキー、サブカル、おたくの三大勢力があるという指摘が面白かったです。三国志に適用すると面白いかも。諸葛孔明が「萌え〜!」とか叫んで魏の長ラン軍団を翻弄するとか。


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