大人はなるに値する――ワンダフル・ワンダリング・サーガ感想




 ライトノベルは子どもが子どものままでいることを描いた小説だ。子どもが大人になるとそのライトノベルは終わる。また、同じ原因から、ライトノベルではしばしば親が描かれない(→ラノベと親子関係の希薄さ」に対する再度のまとめ)。将来の目標となる大人を持たない子ども達は子ども同士で戦い続ける。しかしフィクションの世界ならともかく、現実世界ではいつまでも子どもでい続けることはできない。ならば作者たる大人は大人として、子どもが未来に希望が持てるような大人像を示さなくてはならないのではないだろうか。

 前掲の定義に従えば、『ワンダフル・ワンダリング・サーガ』(矢治哲典著、ファミ通文庫)はライトノベルではない。何故なら主人公鈴木正晴は登場時点で既にサラリーマンだからだ。しかも体と立場だけでなく、ちゃんと中身も大人なやつとして造形されている。こんなライトノベルがかってあっただろうか。
 本作で特にじんと来たのが、主人公が新商品・カツ丼煎餅の商品説明のリハーサルをするシーンだ。正晴の短い台詞の中に、大人にはしんどいことやつらいことも多いけれど、でも喜びがあって生きていくに値するものなんだということがリアリティを持って語られていて胸が熱くなる。
 また、本作では子どもが大人になることがどういうことかという問いが主軸に据えられている。あまり書くとネタばれになってしまうのだが、子どもが大人という別の存在に変化するのではなく、子どもの部分を抱えたまま大人になっていくのだという主張は優しくて、子どもにとって希望が持てるものだと思う。

 本作は大人、特にサラリーマンが読んだ方が感動するだろうが(私は電車の中でぼろ泣きしそうになった)、大人になることに希望が持てないでいる子どもにこそ必要な小説だ。



トップページに戻る