劇的から百光年――「弱くても勝てます」開成高校野球部のセオリー感想
(本稿は「弱くても勝てます」のネタバレを含みます。)
延長18回の死闘、5打席連続敬遠など高校野球は数々のドラマを生み出してきた。負ければ終わりのトーナメント方式、甲子園という伝統ある舞台など、高校野球は劇的な物語にふさわしい環境が揃っている。
だが、『「弱くても勝てます」開成高校野球部のセオリー』(高橋秀実著、新潮文庫)は劇的さの対極にあるようなノンフィクションだ。
第一に、登場人物が劇的ではない。怒ってばかりいる青木監督や、プロ野球を目指して勉強をやめた長江君、名門聖光学院中学から攻撃野球がしたくて移ってきた藤田君は例外的に劇的だが、他の生徒は皆考え深くて似たようなタイプでありキャラクターが立っていない。
第二に展開が劇的ではない。「おおきく振りかぶって」のアニメを見て、あっさりとした負け方に何てリアルなんだと感心したものだが、そうは言ってもある程度は劇的だった。「弱くても勝てます」の場合、見せ場もなく負けたりして劇的さのかけらもない。
舞台が週一回しか練習できない弱小チームというのは劇的である前提条件を満たしている。強者が勝ってもあたりまえだが、弱者が勝てば劇的だからだ。だが本書の場合「弱くても勝てます」と言いながら「弱くても負けます」といった内容である。ノンフィクションだから現実はこんなものかな、と納得させられるものの、フィクションだったら何じゃこりゃとなるレベルだ。
本書が劇的でないのは半分は開成高校野球部のせいだが、もう半分は作者のせいである。
基本的に日常において劇的な出来事は少ない。そのため、ノンフィクションを劇的にしようと思ったら、劇的でない部分を省略し、劇的な部分を手厚く書けば良い。
本書は試合のある時期とろくに練習もない時期に同じ分量を割いている。これは元が連載原稿だったからしょうがない面もあるのだが、単行本化にあたって再構成をして劇的にすることもできたはずである。それをしなかったのはある意味手抜きだが、劇的メンタリティが優勢な高校野球のアンチテーゼというスタンスを示す点では良い選択だったとも言える。
本書は二宮和也主演でドラマ化されるそうだが、困難な仕事になるだろう。
ドラマはフィクションだ。従って、劇的にしないと何じゃこりゃとなるが、劇的にすると劇的じゃないという本書の本質が損なわれてしまうのだ。普通のスタッフだったら強豪を劇的に倒す話に変えてしまうと思うが、「Q10」や「セクシーボイス アンド ロボ」などひねりの効いたドラマを多数作ってきたプロデューサーが手がけるそうなので、難しい二律背反を解消する秘策を編み出すのかも知れない。期待して見ることにしよう。
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