砂糖菓子の反撃――幽霊列車とこんぺい糖 感想




(本稿は『砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない』、『スラムオンライン』、『幽霊列車とこんぺい糖』の抽象的ネタばれを含んでいます。)

 『砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない』(桜庭一樹著、富士見ミステリー文庫)は確かに鮮烈な傑作だ。しかし、おたく達が手放しで絶賛しているのは不思議だった。何せ、『砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない』は
「現実に抗し得ない砂糖菓子の弾丸(=おたく文化)を捨て、実弾を手に取れ(=自衛隊に入隊せよ)。」
と主張する小説である。もし作者の主張に納得したのならライトノベルを捨てるべきだし、納得いかなかったのなら、「なめんな! 」と叫んで反論すべきだろう。(付記1)
 ということを友人の閏氏に主張した所、「自嘲的な所がおたくの特質ではないか」という趣旨の反論が返ってきた。確かにそれは一利ある。だが、建設的反論をした方が問題が深まるし、桜庭氏も望むところなのではないだろうか。

 桜坂洋氏が「なめんな! 」と叫んだのが『スラムオンライン』(ハヤカワ文庫)である。『スラムオンライン』の中で桜坂氏は全く不毛に見えるゲームセンターでの日々(=砂糖菓子)にだって意味はあるんだ、と主張して反論を試みた。

 そして今、真正面から「なめんな! 」と挑戦状を叩きつける作品が登場した。それが『幽霊列車とこんぺい糖 メモリー・オブ・リガヤ』(木ノ歌詠著、富士見ミステリー文庫)だ。
 『幽霊列車とこんぺい糖』の設定は『砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない』の設定と極めて近い。舞台は田舎町で、その町で育った少女が外からやってきた常ならざる少女と出会うことから物語が始まる。しかしながら、木ノ歌氏は桜庭氏の物語を裏返す。『砂糖菓子』の海野藻屑と『幽霊列車』の海幸という名が対照的だ。桜庭氏は物理的暴力に対し、砂糖菓子が無力であることを描いた。それに対し、木ノ歌氏は精神的窮地に陥った少女の救済を描く。精神的救済に必要なのは実弾ではない。砂糖菓子だ。こうして木ノ歌氏は見事『砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない』に反論することに成功したのだ。

 本作のクライマックスに至る展開は、「全く無意味であることを知っていながらあえてそうする」という「スノビズム」そのものである。大抵の小説の主人公は意味があると信じるところに従って行動しており、スノビズムを体現したような主人公は珍しい。だが、砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けないことを自覚しながらあえてライトノベルを読み続けているようなおたくの行動はスノビズムだと言える。ヒロイン海幸の趣味はまるでおたく的ではないが、行動の根幹は似通っているのかもしれない。


付記1:「なめんな! 」と思った私は『ノーブラッ!』という小説を書いて電撃大賞に送ったが、一時選考で落とされてしまったので、反論すること適わなかった。納得いかなかったが、『幽霊列車とこんぺい糖』を読むと、反論の説得力が段違いなので、落ちたのも仕方ないと思った。



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