ようこそ! 非コミュの王国へ――1Q84感想




(本稿は『1Q84』のネタばれを含みます。)

 『1Q84』(村上春樹著、新潮文庫)全六巻読了。いやあ、面白かった。村上氏の長編では『羊をめぐる冒険』がベストではないかと思っていたが、『1Q84』はそれを越えている。
 そして、嬉しかったのが、氏の小説がこちら側の人間を描いているということに気づいたことだ。こちら側というのはリア充ではなく非コミュであるということだ。村上氏の小説の主人公はやたらめったらセックスをしているし、おしゃれだし、洋楽聞いてるし、パスタを茹でて食べてるし、都会的なのでいかにもリア充そうである。私も『1Q84』を読むまで、村上氏の小説は鼻持ちならないリア充小説だと思っていた。だが、『1Q84』中盤で、ヒーロー天吾の前から年上のガールフレンドが、ヒロイン青豆の前から中野あゆみが去ってしまった所で気がついた。あれ、これって(一人)ぼっち小説じゃね。例えば、ライトノベル界においてぼっち小説の双璧として知られている『僕は友達が少ない』と『やはり俺の青春ラブコメは間違っている』だが、主人公は二人とも友達が少ないと言いつつも部活というコミュニティに所属しているし、家族がおり、特に妹とは仲が良い。それに対して青豆や天吾は仕事以外のコミュニティに属しておらず、中盤からは友達がいないし(天吾は最初からいない)、両親とは絶縁状態で兄弟もいない。ぼっち小説としては『1Q84』の方がレベルが上である。

 そういう目で眺めると、『1Q84』はかなりライトノベルっぽい。まず、自分からは何もしないくせにモテモテで、「おーまーえーなーー!」と胸ぐらをつかんでがくがく揺さぶりたくなるようなへたれ主人公の造形が極めてライトノベルっぽい。へたれ主人公のスターシステムを採っていることで有名な杉井光氏は、村上春樹に影響を受けたと言っているから、この場合、ライトノベルが村上春樹っぽいのかも知れない。一方で、ヒロインは積極的で勇敢なのもライトノベル的だ。他にも、ふかえりはいかにも綾波レイや長門有希と同系列のヒロインだし、主人公達が幼い頃に出会った人のことを長年想い続けている所など、まさにおたく的である。「月が二つある」、「リトルピープル」、「マザとドウタ」といった設定もいかにも中二病的だ。唯一ライトノベル的でないのは、ヒーローが童貞でなく、ヒロインが処女でない所だが、それは重要ではあるものの本質的ではない。主人公がやたらめったらセックスをしたり、おしゃれだったり、洋楽聞いていたり、パスタを茹でて食べていたり、都会的だったりするのはどれも物事の本質ではない。『僕は友達が少ない』がやってることはリア充なのに、非コミュ小説として認識されているのと同じだ。大切なのは魂がリア充か非コミュかだ。『1Q84』の主人公、青豆と天吾と牛河は三人とも非コミュの魂を持っている。これは非コミュによる非コミュのための非コミュ小説なのだ。
 ようこそ! 非コミュの王国へ。

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