「たいへんよくできました」は永続しない――ゴールデンスランバー感想



(本稿は『ゴールデンスランバー』のあからさまなネタバレを含みます。)

 『ゴールデンスランバー』(伊坂幸太郎著、新潮社)は成就しないことが運命づけられたラブストーリーである。本作のヒロイン樋口晴子は主人公青柳雅春の昔の恋人であるが、今は結婚して娘もおり幸せな家庭を築いている。本作のストーリーの軸は青柳の逃走劇であるが、もう一つの軸は青柳と樋口のすれ違いである。「君の名は」や「1Q84」に典型的なように、男女のすれ違い劇は普通、ヒーローとヒロインが両思いになって終わるのだが、本作では最初からその結末が封じられているのだ。井ノ原小梅をヒロインにすれば普通のハッピーエンドにできたのにあえて樋口をヒロインにしたのは本作のテーマに関わっている。

 タイトルになっている『ゴールデンスランバー』はビートルズの曲名である。

「出だし、覚えてるか?」と森田森吾は言った後で、冒頭部分を口ずさんだ。「Once There was a way to get back homeward」
「昔は故郷へと続く道があった、そういう意味合いだっけ?」
「学生の頃、おまえたちと遊んでいた時のことを反射的に、思い出したよ。」
「学生時代?」
「帰るべき故郷、って言われるとさ、思い浮かぶのは、あの時の俺たちなんだよ」


 青柳にとって大学時代の友人森田、後輩のカズ、そして恋人だった樋口。かけがえのない仲間たちと彼らと過ごした日々こそがゴールデンスランバーだ。社会人になった今は互いに会うこともない。だが、首相暗殺犯の犯人に仕立てられ逃げ惑う青柳は、かつての仲間達と次々と再開を果たす。青柳の逃走劇は絶望的だが、その対価としてゴールデンスランバーとの再開を果たす。だが、彼らとの再開はほんの一瞬しか果たせない。

「わたしたちって、このまま一緒にいても絶対『よくできました』止まりな気がしちゃうよね」

 青柳は樋口から『たいへんよくできました』になれないからという理由で振られる。だが、森田曰く青柳と、青柳を振った樋口が選んだ旦那は「引き分けってとこ」らしい。樋口は『よくできました』では駄目だと言っておきながら『よくできました』を選んだのだろうか。

(以下、ラストシーンの致命的なネタバレを含みます。)

 ラストシーン、樋口は青柳に「たいへんよくできました」とのメッセージを伝える。このシーンを読んだ時、私は心揺さぶられる腹立たしさを感じた。想い人からやっと承認を得られたという喜びは大きい。一方で、「良く頑張って『よくできました』から『たいへんよくできました』になったね。」という樋口のメッセージに、上から目線で偉そうに! と腹が立ったのだ。

 だが、この小説は青柳の成長小説ではない。エレベータのボタンを押す指が象徴しているように、むしろ青柳がこれほどの事件に巻き込まれながら自分の良さを失わずに変わらずにいられたということを描いているのではないか。だとすると、樋口のメッセージを上記のように解釈するのは相応しくない。
 樋口が青柳と引き分けってとこな男を伴侶に選んだことから見て、樋口の考え方が変化したと見るのが自然だ。樋口が青柳に伝えたかったこと。それは「私が『よくできました』だと思っていた日々が『たいへんよくできました』だったんだね。」ではあるまいか。青柳は昔からささやかな『よくできました』に喜びを見いだせるような男だからだ。

 樋口がかつて求めていたような『たいへんよくできました』も確かに存在する。それは本作の何箇所かで見られる、心揺さぶられる素晴らしいシーンのような出来事だ。それはラストシーンであったり、「だと思った。」であったり、「俺は信じたいんじゃない。知ってんだよ。」だったりするのだが、それらの感動はどれも一瞬の出来事だ。素晴らしい出来事はその瞬間しか存在せず、いつまでも留めてはおけない。
 『たいへんよくできました』すなわちゴールデンスランバーは永続しない。このことを描いているから本作のラストはせつなくほろ苦いのだろう。

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