リフレッシュ消費としての暇つぶしゲーム――ぐんまのやぼうとおさわり探偵なめこ栽培キット感想



 iPodTouch感想でも書いたが、その後ますます「ぐんまのやぼう」と「おさわり探偵なめこ栽培キット」にハマっている。仕事中と睡眠中以外はほぼ三十分に一度は起動してねぎやなめこを収穫する始末だ。
 知らない人のために簡単に説明すると、両方とも時間が経つと作物(ぐんまのやぼうではねぎ、こんにゃく、キャベツ、おさわり探偵なめこ栽培キットではなめこ)が生えてくるので、それを画面をタッチして収穫すると、ポイントがもらえる。そのポイントを使ってぐんまのやぼうでは宇宙征服を、おさわり探偵なめこ栽培キットではなめこ図鑑の完成を目指すゲームである。

 率直に言って両ゲームともものすごく面白いわけではない。適度なユーモアがあってくすりとさせられるが、感動したり爆笑したり涙を流したりするわけではない。一回一回のゲーム時間は十秒くらいでも、累計すると結構な時間を取られているはずである。はっきり言ってこんなゲームをやるのは割に合わない。理性はそう訴えているのに、気づけばアプリを起動している。一体どうしてなのか。

 まず考えられるのが、両アプリ共、過ぎ去っていく時間を価値に変えたいという人間の欲求を上手く形にしている点だ。ゲームをしてポイントを貯めていると、何もしない場合より何らかの価値を生み出しているような気になり、満足感が得られる。これは人間の基本的欲求に合致している。
 だが、単に価値を生み出したいのなら、ゲームによってもっと有益な情報を得られた方が良いはずだ。ぐんまのやぼうは群馬県の地理に詳しくなるので、多少は有益と言えなくもないが、おさわり探偵なめこ栽培キットのプレイで得られるのはほとんどが架空のなめこの名前であり、何の役にも立たない。例えば英単語が覚えられるとか、数学に詳しくなるといった風に作ればプレイすることでより多くの価値を得られるはずだ。だが、ヒットするゲームはどれもわずかなどうでも良い情報しか得られないものばかりだ。何故だろうか。

 我々は脳内の情報密度を減らしたがっているのではないだろうか。哲学者の野矢茂樹氏は思索に疲れると座禅をして頭をリフレッシュするのだという。現代人は日々かつて人類が経験したことのないほど大量の情報を脳内にインプットしている。過剰なインプットに耐えかねた脳が無意識の内に休養を求めて体に指令を出し、暇つぶしゲームをプレイさせているのではないだろうか。

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東雲製作所評論部(感想過去ログ)