リアリティのレベル上げれば――灰と幻想のグリムガル感想
(本稿は『灰と幻想のグリムガル 』の内容に触れています。)
『灰と幻想のグリムガル level.1―ささやき、詠唱、祈り、目覚めよ』(十文字青著、オーバーラップ文庫)を読んでまず思ったのがゴブリンが可哀想だということだ。主人公達のパーティはゴブリンを襲撃して殺し、持っている宝を奪って生活費を稼いでいる。食うために殺すなら分かるが宝が目当てなら殺さずに盗んだりできないのだろうか。さらに言うと、主人公達が狩場にしている旧市街をねぐらにしているのは「新市街で勢力争いに敗れたり仲間外れにされたりしたゴブリン」だというから、なおさら惨たらしく殺されるゴブリン達に同情してしまう。
だが、考えてみればたいていのロールプレイングゲームでは、食うためではなく経験値稼ぎやアイテムのためにゴブリンなどのモンスターを殺している。だが、ゲームをやっていてゴブリンが可哀想などとは思わない。ゲームでは思わないのに、『灰と幻想のグリムガル』を読むと感じるのは何故か。それは本作のリアリティのレベルが高いからだ。
リアリティのレベルを上げると色々なものが見えてくる。ゲームが現実と全く同じだったら誰もわざわざゲームをプレイしたりしない訳で、ゲームは現実世界から嫌な部分を取り除いたものでできている。(例えばたいていのゲームではトイレに行く必要はない。)従って、ゲームのような世界を舞台にした小説でリアリティのレベルを上げていくと、必然的に嫌なものばかりが浮き上がってくる。モンスターを殺す時の惨たらしい手応えとか替えのない下着とか普通のゲームが素通りしてしまうようなものを作者は丹念に描く。
簡単じゃないんだ。死ぬときはあっさり死んでしまうのに、命を奪うのは簡単じゃない。たしかに凄惨だが、ハルヒロは当事者だ。むごたらしいからという理由で目をそらすことはできない。
主人公ハルヒロのモノローグは作者の決意表明に見える。
『この世界は「ゲーム」なのか、「リアル」なのか。』本書につけられた帯文だ。主人公達が現代の現実世界からやってきたらしいことは冒頭で示唆されており、これがバーチャルリアリティか何かによるゲーム世界なのかそれとも異世界の現実世界なのかは本作の大きな謎ではある。だが、小説そのもののスタンスははっきりしている。
これはリアルな小説だ。
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