僕たちは文学少女のいない世界でなんとかやっていく――半熟作家と”文学少女”な編集者と”葵”ヒカルが地球にいたころ……1感想




(本稿は、『半熟作家と”文学少女”な編集者』と『”葵”ヒカルが地球にいたころ……1』の抽象的ネタばれを含みます。)
 文学少女シリーズ(野村美月著、ファミ通文庫)の天野遠子先輩は不世出のヒロインであった。文学少女シリーズの最終巻、『半熟作家と”文学少女”な編集者』は半熟作家、雀宮快斗が遠子に失恋する話であると同時に、読者が遠子に失恋する話でもある。作者が、文学少女シリーズの最終巻を今までのように心葉の視点で描かなかったのは、遠子先輩に心奪われた読者をきっぱり遠子と別れさせて、現実に連れ戻すためではないか。エヴァンゲリオンで庵野監督がアスカに気持ち悪いと言わせたように。
 文学少女シリーズが終了し、新シリーズの『ヒカルが地球にいたころ』が始まった。源氏物語をリメークするにあたっての最大の障害たる平安時代と現代の倫理観の違いを主人公を二人に分けることで克服した意欲作で、ヒーローが野村作品中、最も格好良い。恋の話がメインなんだけど、特にぐっときたのは友情の話で、エピローグでは泣きそうになった。うさ恋の後にこれを読んだら、諸手を上げて絶賛したと思う。思うんだけど…… 遠子先輩がいない、という思いは拭えない。遠子先輩に比肩するヒロインが出てこないのである。理由は簡単で、遠子先輩のキャラクターが文学少女という作品と深く結びついているが故に、表面的なパラメーターを変えて遠子先輩的性格のキャラを出すと、その作品が文学少女シリーズになってしまうからだ。
 あとがきで、作者は新シリーズが難産だったことを明かしており、理由の一つとして勤務先の閉鎖を上げているが、最大の原因は遠子の不在だと思う。いるだけで作品の魅力が何割増かになるヒロインがいないんだから、そりゃあ筆が進まないのも当たり前だ。
 緋村剣心なき後の和月伸宏氏のように、作品のテーマと分かちがたく結びついた、極めて魅力的なキャラクターを失った後の作者は苦労する傾向があるように思う。だが、野村氏はだらだら文学少女シリーズを続けずに、きっぱりと新シリーズを立ち上げ、茨の道を歩き始めた。こうなった以上、作者も読者も文学少女のいない世界でなんとかやっていくしかないのだ。



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