真実は嘘の中――向日葵の咲かない夏感想




(『向日葵の咲かない夏』の抽象的ネタばれを含みます。)
 我々は、小説に書いてあることをどうやって本当だと判断しているのだろう。普通は語り手の言うことが概ね正しいのだと信じて読む。では、語り手が嘘つきだったら? 狂っていたら?
 『向日葵の咲かない夏』(道尾秀介著、新潮文庫)は小説における真実とは何かについて考えさせられる小説だ。
 本作では、生まれ変わりという超常的な出来事が起こるが、初読時、私は特にそのことに疑念を抱かなかった。読み終わってから改めて読み返すと、主人公の語りの信憑性を支えているのが、妹のミカであることに気づいて唖然とした。客観的第三者であるミカが、主人公の認識に同意していることから、読者も、主人公の語りを信じる。だが、第三者も共謀して嘘をついていたら? あるいは――
 最終的に、読者は、作者の用意した真実へと導かれる。だが、考えてみれば、それが真実だとどうして言えよう。全ては主人公の妄想かもしれない。さらに言うならば、真実かどうかなど考えるまでもない。ここに書かれていることは嘘だ。なぜならこれはフィクションなのだから。
 にも関わらず、私は、お爺さんに対する主人公の吐露やラストシーンの長い影に真実味を感じる。何故か。まず考えられるのは、嘘だと考えるより、真実だと考えた方が、シンプルに説明できるというオッカムの剃刀によるものだが、それだけではない。主人公の気持ちに共感できるからというのもまだ足りない。きっと真実はそれらを越えた奥にある。



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