貧乳=男の娘=読者




 以前、私は「女装少年が流行るのは、ヒーローとヒロインが恋人同士になって、物語が終わるのを防ぐため」だと書いた。ここでは、女装少年が流行るのは、読者が自我を肯定するためではないか、という仮説について論じる。なお、近頃は、女装少年のことを「男の娘」と書くことが多いので、本稿でもそれにならう。

 男の娘が流行る前から、ライトノベルでは貧乳キャラが大人気だった。長門有希しかり、逢坂大河しかり、ホロしかり、天野遠子しかり。『このライトノベルがすごい!』のキャラクター人気投票で上位を占めるのは大抵が貧乳キャラだ。これは、ライトノベル読者の大半がロリコンだからだと言ってしまえばそれまでなのだが、必ずしもそうではないように思う。何故なら、そうした貧乳キャラたちと主人公がエッチな行為をするシーンは殆どないからだ。むしろ、エッチなシーンは、朝比奈みくるのような豊乳キャラが担当していることが多い。
 同じことは、男の娘についても言える。木下秀吉を支持している読者が必ずしもショタコンの同性愛者ではないことは多くの人が同意してくれるだろう。

 この問題を考える上で、重要な示唆を与えてくれるのが、『ライトノベル完全読本vol.3』に掲載された、小泉蜜氏の論考、『「男と男」に託されたもの――”ボーイズラブ”が果たす役割とは――』である。この中で小泉氏はボーイズラブが、「男性優位主義と女性嫌悪の感情を抱えたままで、なんとかして女性である自分を救済する」ために、「「受け」は読者の望む<女の役割>を演じ、「攻め」はその「受け」を愛」することで、「二人の男性が二人がかりで、読者の望む「女」の部分を肯定してくれる」と分析している。
 小泉氏は男性優位社会における女性の不幸について論じているが、不幸なのは女性ばかりではない。例えば、幸福度の調査では、男性は女性に水をあけられているし(→国民生活選好度調査)、平均寿命は女性は世界一なのに、男性は四位でしかない。男性優位社会で会社にこき使われ、将来の安定も保証されていない、今の男性が、男としての自分を肯定できない感情を抱えていても、何の不思議もない。

 ライトノベルでは、伝統的にへたれ主人公が読者の投影対象として設定され、主人公のへたれなりの優しさが肯定されることで、草食系男子の読者も肯定されてきた。だが、ライトノベルにおいて、最も強く肯定されているのは、ヒロインである。より強い肯定を求めるなら、ヒロインに感情移入した方が良い。だが、女性としての性が強く現れている豊乳キャラは、男性にとって感情移入しにくい。結果として、中性的な貧乳キャラの人気が高いのではないだろうか。
 もちろん、貧乳キャラの全てが、男性読者の自己投影対象だとは思わない。ケモノ属性という、読者の自己投影を阻む要素を持つホロなどは、異性として好きであると捉えている男性読者が大半だろう。一方、長門有希の場合、「内向的で孤独な自分を肯定してほしい」という読者が自己投影対象として好んでいるという要素がわりと大きいように思う。ライトノベルのキャラではないが、らきすたの泉こなたは「オタクである自分を肯定してほしい」という願望を満たすための、最も分かりやすい自己投影型の貧乳キャラと言えよう。
 貧乳キャラを男性読者がより自己投影しやすいよう進化させたのが、男の娘だ。男の娘は、ほぼ例外なく温厚で優しい草食系であり、リナ=インバースや涼宮ハルヒのような性格の男の娘は存在しない。それは、男の娘が、男性としては頼りなく見られてモテない性格を、女性として肯定して欲しいという読者の願望の現われだからではないだろうか。



トップページに戻る