どいつもこいつも上手すぎる――桐島、部活やめるってよ感想
(本稿は『桐島、部活やめるってよ』の抽象的ネタばれを含みます。)
どいつもこいつも文章が上手すぎるというのが『桐島、部活やめるってよ』(朝井リョウ著、集英社)を読んだ感想だ。本作は五人の高校生の一人称語りによって構成された小説なのだが、五人が五人共感受性が豊かで、人間関係の機微を鋭く読み取り、詩的な比喩を多用し、屈託を抱えている。少なくとも私が高校生の時は(というか今もだが、)これほど感受性が豊かではなかったし、人間関係の機微など読み取れなかったし、詩的な比喩など浮かばなかったし、まあ屈託は抱えていたかも知れないが、とにかくこんな文学的な語りのできる奴ではなかった。
とは言え、難しいのは、これが新人賞受賞作であることだ。新人賞応募作で、リアルな高校生の一人称を志向して、感受性が鈍く、人間関係の機微に全く気づかず、表現が凡庸で、何の屈託もない語りを採用したら、確実に落とされる。新人賞では作者の力量を選考委員に見せつける必要があるのだ。
高校生はこんなに詩的じゃないというのは単なる私の感想であり、多くの高校生は意外と詩的なのかも知れない。本作は多くの若者の共感を得てベストセラーになったし、少なくとも、作者たる朝井氏は感受性が豊かで、人間関係の機微を鋭く読み取り、詩的な比喩を多用でき、屈託を抱えている高校生だったのだろうから、五人中何人かはこういう語りをしても良いと思う。しかし、せっかくの多元視点なのだし、他の部分で十分作者の力量は見せつけられているのだから、一人くらいアッパラパーな語りの奴がいても良いのにと思う。沙奈の一人称とか面白そうなのになあ。
トップページに戻る
ひとつ前の小説感想(第3回『このライトノベルがすごい!』大賞)に進む
東雲製作所評論部