トラウマは遠すぎる――ココロコネクト ヒトランダム感想




(本稿は『ココロコネクト ヒトランダム』の抽象的ネタばれを含みます。)

 ココロコネクト ヒトランダム(庵田定夏著、ファミ通文庫)は荷電粒子砲でさんまの塩焼きを作ったような小説だ。普通、『人格入れ替わり』なんて派手な設定があったら、『人格転移の殺人』(西澤保彦著、講談社文庫)のようなミステリー的大仕掛けが発動しそうなものだ。だが、本作では人格入れ替わりは登場人物達の内面をあらわにするために使われている。

 ライトノベルなどのおたく系フィクションでは、ヒロインのトラウマの強さは恋愛戦闘力に比例する。分かりやすい例が『WORKING!!』(高津カリノ作、ヤングガンガンコミックス)だ。当初は種島ぽぷらがメインヒロイン的立ち位置にあったが、男性恐怖症という強いトラウマを抱えた伊波まひるの方が恋愛戦闘力において上回っているため、メインヒロインの座を奪いつつある。『とらドラ!』で大河がみのりんに勝ったのもトラウマの差である。主人公はヒロインのトラウマ克服に手を貸すことで、恋に落ちる。
 だが、実際問題、作中で稲葉が指摘しているように「現実の多くの人間に、なにか物語にでもなりそうな明確で劇的なトラウマなんて、ない」。仮にトラウマやトラウマというほどではない悩みを持っていても内に秘めていて表さない。主人公がヒロインのトラウマを知るためにはきっかけとなる出来事が必要だが、現実世界ではそんな出来事など起こらない。従って、作者は小説をどこかで現実とは異なる設定にする(=嘘をつく)必要がある。
 オーソドックスなライトノベルではヒロインの性格をライトノベル的に尖らせてガードを下げることでこの問題を解決する。現実世界には、自己紹介で「ただの人間には興味がありません。」と言い放ったり、布団で簀巻きになった状態で登場したり、教室でエア友達と話していたりする女性は多分存在しないが、ライトノベルにおいてはヒロインのトラウマを主人公に知らしめるために不可欠な奇行なのだ。最近のライトノベルはそこを逆手にとって、ヒロインの行動のありえなさを競っている所がある。
 ココロコネクトシリーズの場合、ヒロイン達の性格は、現実世界にもぎりぎりいそうなレベルに抑えられている。作者は登場人物の内面に関しては嘘をつかなかった。だが、何としてもヒロイン達のトラウマを主人公に気づかせる必要がある。そのために、『人格入れ替わり』という大嘘が必要となったのだ。

 ココロコネクトシリーズのもう一つの特徴は、文化研究部の五人がほぼ均等な重みで描かれていることだ。特に青木なんて、普通のライトノベルなら、単なるギャグメーカーになりそうな立ち位置だが、本作では時に主人公をも上回る格好良さを見せる。作者の人間に貴賎なしという主張が感じられて好感を持った。



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