小説ならではの面白さと速度――リーガルファンタジー感想
(本稿は「リーガルファンタジー」の内容に触れています。)
『リーガルファンタジー 1勇者弾劾裁判』(羽田遼亮著、ファミ通文庫)は凝りに凝った小説だ。神視点の文体と相まって、小説ならではの面白さを追求したいと語っていた秋山瑞人氏の作品を彷彿とさせる。
ボーイミーツガールも戦闘シーンもないという題材もライトノベルでは異色だし、情報の出し方や構成にも工夫が凝らされているが最も凝っているのは文章だろう。全編に渡って凡庸な表現を避け少しでも面白い表現にしようという意思がみなぎっている。
本作最大の特徴は間接話法(「」を用いない会話文)を多用していることだろう。これはライトノベルでは珍しい。
会話を直接話法(「」で発言をそのまま書くこと)でだらだら書くなというのは文章読本で良く指摘されることだ。例えば渡部直己氏は『新・それでも作家になりたい人のためのブックガイド』(すが秀実、渡部直己著、太田出版)で
「日頃口にする言葉をそのまま「 」内にくくることは、字さえ書ければ、どんな低能にも叶う仕儀なのだ。それほど安易幼稚なものに頼って、まともな小説技法が身につくはずもなかろうに!」
と指摘し、そうした「擬音語や会話だらけの作文を止めようとしない者たちへの懲罰として、わたしはしばしば、自作を朗読させることにしている。(中略)幼いなりに計算した地の文と無防備な発話部分との致命的なギャップがそこで、否応なく露呈するからである。」と記している。
なぜ文章読本において直接話法が戒められ間接話法が推奨されるかというと、間接話法には小説ならではの面白さが生じるからだろう。直接話法の会話は脚本と同じだけの情報量しか持たないから、ドラマやアニメなどで脚本に役者の演技が加わったものと比較すると情報量で劣ってしまう。間接話法の場合発言内容に加えニュアンスや語りの面白さを同時に読者に提示できるので文字数当たりに読者に与える情報量が多くなるのだ。
だが、それは時間当たりに読者に与える情報量と同じではない。
間接話法の文章は読みにくい。ましてや凝った文ならなおさらだ。実際『リーガルファンタジー』はライトノベルで最も速く読める『僕は友達が少ない』や『ドレスな僕がやんごとなき方々の家庭教師様な件』などと比べると読むのに倍の時間がかかった。
例えば
十数分後、フィオナは再び同じ場所に立つと無言でラムネを渡す。口を開かなかったのは賢い選択だったが、叡智を働かせたのは脳みそではなく肺という名の呼吸器官であった。
といった文を読むと、こんなさほど重要じゃないシーンの描写まで凝った文で書かなくても良いのに、と思ってしまう。続けて「フィオナはもはや肩ではなく、全身を使って呼吸をしている。」という文があるので何言ってるのか分からない訳ではないが、理解するまでに1秒くらいのタイムラグを生じるのですらすら読めないのだ。
一方、法定シーンのクライマックスで使われている黙説法(発話をあえて書かないこと)には唸った。同じ、読者を一瞬立ち止まらせる手法であるにも関わらずこちらが実に効果的なのは、黙説法が使われているのが読者が立ち止まってしみじみ味わいたいような重要で心揺さぶられるシーンだからだ。
(作者から献本を頂きました。どうも有難うございます。)
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